2012年2月12日 顕現節第6主日 「癒しと赦し」

マルコによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

マルコによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった》。

このように、きょうの福音は、イエスさまの一行が付近の町や村にみ言葉を宣べ伝える旅をひとまず終えて、本拠地であるガリラヤ湖畔の町カファルナウムに戻ってきたときのお話しです。たちまちに《家におられることが知れ渡り》ました。これを素直に読めば、イエスさまはカファルナウムにご自分の家を持っておられたように読めますが、シモン・ペトロの家に寄寓していたと考える人もいます。前の頁の1章29以下の記事では、イエスさまがシモン・ペトロの家に行き、そこに泊まったように読めるからです。そのときも、町中の人が戸口に集まり、イエスさまはいろいろな病気をいやし、多くの悪霊を追い出されました。今度もまた家の外までぎっしりと、大勢の人が集まりました。

《イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした》。

イエスさまは集まった人々に神の国も福音を語り伝えます。著者マルコはここで「御言葉を語る」と書いていますが、「御言葉」と「福音」は同じ意味と思って良いでしょう。その内容は1章15に《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》と要約されています。イエスさまが人々に話しているとき、「中風の人」が運んで来られます。「中風」とは、脳出血などの後遺症で半身不随とか手足の麻痺した症状のことです。この病人をなんとか治してもらおうと四人の男は大胆にも屋根に穴を開けて、イエスさまの前につり降ろします。「床(とこ)」とは担架のようなものを考えておけば良いでしょう。

当時の庶民の家は一部屋しかない平屋でした。雨の少ない地方ですので、屋根は板をわたした上に木の枝を並べて泥で塗り固める簡単な作りだったそうです。また、外階段が付いていて屋根に登れる家が多かったそうです。人が群がっていて戸口から入れないので、階段を利用したのでしょう。それにしても、屋根に穴を開けるなんてことは、家主にとっても、部屋の中にいた人たちにとっても、たいへんな迷惑で、これを正当化することはできないでしょう。しかし、きょうの物語はその点は無視して、先に進みます。

《イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた》。

「その人たち」の中に中風の人も含まれていると解釈する人もいますが、ふつうは担架を担った四人の男たちを指すと受けとめられています。中風の人をご自分のところへ連れてきた四人の信仰を見て、イエスさまは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。明治時代以来、日本のキリスト教は個人の信仰的決断が強調されてきました。村の信仰でも家の信仰でもなく、そこから自立して、私個人の信仰を確立することが求められました。親であっても子の信仰を代わって持ってやることはできません。あの四人も病人に代わって信仰をもつことはできません。でも、その信仰は他人との繋がりを持てないわけではありません、その病人の苦しみ・悲しみ・窮状を自分のもののように受けとめ、連帯し、自分の信仰の中に取り込み、それをイエスさまのもとに訴え・願いとしてもたらすことはできるのです。弱者のための「執り成し」は信仰者のなすべき大事な役目です。

ここで彼らの「信仰」とは、イエス・キリストが主であり、救い主であるというような、教義を受け入れる信仰ではありません。イエスさまならばこの病人をきっと治してくれるという固い信頼を意味しています。イエスさまがその力も、そうする好意も持っているお方であると信じているということです。そして、それが彼らの側の一方的な思い込みでなく、イエスさまがその信頼に足る信実なお方であることを、きょうの記事もマルコ福音全体も私たちに伝えようとしているのです。信実なイエスさまと彼に信頼する四人との出会いと結びつき、イエスさまと中風の人との出会いと結びつきは、単発の出来事ではなく、いつの時代の誰にでも開かれた出会いであり結びつきなのです。こういう幸いなる状況、新しい時代をもたらしたのがイエスさまであり、そのことを、《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》という御言葉、福音は告げているのです。イエスさまはご自分の言動によって、神と人との関係を近いものにしました。中風の人に対する呼びかけ「子よ」は、この関係の近さ、親しさを表わすものです。

次の言葉は、「あなたの罪は赦される」です。「赦される」という受動形は、神が赦すという意味です。日本語で「赦される」というと、今はまだ赦されていないけれど、将来赦されるであろうという意味にもなりますが、ここでは今すでに「赦されている」という意味です。四人の男たちは病気を治してもらおうと思って中風の人を連れてきたのだろうと思います。中風の人自身にしてもいやしを期待していたでしょう。それなのに、「起き上がりなさい」ではなく「あなたの罪は赦される」と言われて、戸惑ったことでしょう。がっかりしたかもしれません。当時、病気や障がいは罪を犯した罰だと考えられていたから、「いやされる」も「罪が赦される」も同じだと解説する人がいますが、聖書自体はそういう考え方をしていません。ここでは、罪が赦されるという目に見えない現実が、障がいが癒されるという目に見える出来事によって明らかにされる、ということが示されているのです。神はイエスさまを通して、中風の人を親しく「子」として受け入れ、近しい関係を築き、彼に恵みを与えることを望んでおられるのです。

《ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」》。

ここに初めて、イエスさまの言動に異議を唱える「律法学者」と呼ばれる人々が登場します。政治と宗教が一体であった古代社会のことです。彼らは法律の専門家であると同時に、聖書学者であって、庶民の日常生活、宗教生活のリーダーでした。彼らは祭司階級の人たちと共に、イエスさまに対して、そして使徒たちの時代にはイエスさまへの信仰に対して、敵対的な態度をとりました。彼らは、イエスさまの働きによって実現しつつある新しい時代、神との親しい出会いというものを知りませんので、イエスさまの言動を理解できず、ことごとく反対します。そしてついにイエスさまを殉教死、十字架死に追いやるに至ります。その第一歩が今日の論争ということになります。イエスさまは彼らに、癒しの奇跡の中に神が親しく働いていることを、神が人に近づいて恵みを与えてくださることを、自分の目で良く見よ、と言っているかのようです。

《その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。》

1章22にも《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》とありました。神はイエスさまの和解のみわざによって、まったく新しい状況をお造りになりました。私たちはきょうの福音から、「地上で罪を赦す権威を持っている」イエスさまに絶対の信頼を置くことができるということを聞き取り、その信頼を自分のものにしたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年2月5日 顕現節第5主日 「病人を癒す」

マルコによる福音書1章29〜39節
説教:高野 公雄 師

 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

マルコによる福音書1章29〜39節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音の個所は、先週の続きです。先週は、イエスさまがガリラヤ地方で活動を始めたことを読みました(マルコ1章21~28)。イエスさまは安息日にカファルナウムの会堂で教え、汚れた霊に取りつかれていた人をいやしました。

今日の箇所はその続きで、同じ一日の間の出来事です。29節は「すぐに」、32節は「夕方になって日が沈むと」、35節は「朝早くまだ暗いうちに」と、時間を追って、カファルナウムでのイエスさまの活動の様子が伝えられています。

きょうの福音は、この時の表示にしたがって三つの段落に分けられますが、初めの二つを重点的に見ていこうと思います。

初めの段落は、シモン・ペトロのしゅうとめをいやす話です。

《すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした》。

「熱が去る」という言い方は、熱を擬人化した表現です。悪霊がその人から離れれば病気が治るのと同じです。「病気をいやす」ということと「悪霊を追い出す」ということは現代人にとっては別のことと感じられますが、当時は明確に区別されていませんでした。当時の人々は「悪霊」という、目に見えない、人間の力を超えた悪の力が、病気を引き起こすと考えました。その人を苦しめている悪の力が追放され、その人が神とのつながり、人とのつながりを取り戻すこと、それをイエスさまは行なっているのです。

イエスさまは病気の婦人の手を取って、その人をいやしました。人と手をつなぐ行為は、その人に対する愛情と敬意の表現です。とくにも病気の人にとって、それは昔も今も、大きな励ましであるにちがいありません。たとえ病状は変わらなくても、その人はイエスさまをとおして深い安らぎを得ることでしょう。

いやされたしゅうとめは一同をもてなしました。具体的には、彼女は起き上がって、夕食を用意したのでしょう。しかし、「もてなす」は、むしろ「仕える、奉仕する」と訳されることが多い言葉です。この言葉ディアコネオーはマルコ福音書の中で、イエスさま自身の生き方を表わす言葉として、またイエスに従う者たちの生き方を指し示す言葉として重要です。《あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》(マルコ10章43~45)。つまり、「もてなす人=仕える人」となったシモンのしゅうとめは、イエスさまの弟子になり、イエスさまと同じように「愛と奉仕に生きる者」になっていったと言っていいでしょう。イエスさまとの出会いにおいては、ただ単に肉体的ないやしが問題なのではなく、イエスさまのいやしを体験することによって、その人の生き方が変わる、ということが大切なのです。この奇跡は、イエスさまの教えの確かさを示すと同時に、神の救いに出会った者が取るべき態度を教える奇跡なのです。

奇跡がそのまま救いなのではありません。奇跡が救いとなるためには、そこに働く神の力を見る目が必要です。救いとは生きた神を身近に知ることであり、その神の慈しみを知った者は苦しみの中にあっても生きる力を失うことはありません。ローマ8章38~39にこうあるとおりです。《わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです》。

32節からは、次の段落になります。

《夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである》。

太陽が沈むと日が替わって、安息日が終わります。病人をかついで来ることが許されるようになります。イエスさまは、教えの確かさを示すために、悪霊を追放し、病気をいやされました。周りに集まった人々は、悪霊に取りつかれていた人が正気になり、病人が立ち上がるのを見て、確かにここに「神の国」が始まっていると感じたことでしょう。

この段落で注目したいのは、《悪霊にものを言うことをお許しにならなかった》というところです。1章24でも汚れた霊は「黙れ」と

2012年1月29日 顕現節第4主日 「みことばの権威」

マルコによる福音書1章21〜28節
説教: 高野 公雄 師

 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

マルコによる福音書1章21〜28節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週は、きょうの福音の直前の個所を聞きました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章15)と。ここに短く記された言葉は、イエスさまがあらゆる機会に語った説教に一貫する要旨はこれですと、マルコがイエスさまの宣教活動を語るにあたって、最初に読者のために前もって書き記したものでしょう。

次に、マルコは、イエスさまがガリラヤ湖の漁師四人に対して《わたしについて来なさい》(1章17)と招いて弟子としたことについて書いています。きょうの福音はその続きであって、ガリラヤでイエスさまが活動をする様子を描いています。《一行はカファルナウムに着いた》という記述から始まっていますが、「一行」とは、イエスさまとその後に従う弟子たちを指します。

ここでカファルナウムという町について説明をしておきましょう。この町は、北のヘルモン山(標高2830M)に発したヨルダン川が南下してガリラヤ湖(地中海海面下212M)に注ぐ川口のすぐ西側に位置する、福音書にしばしば出てくる湖畔の町です。29節以下の物語にある通り、シモン・ペトロとアンデレの家はこの町にありました。それだけでなく、イエスさまはこの町を拠点としてガリラヤの町々村々を廻ったようで、《イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた》(マタイ9章1)とあります。この町はヨルダン川の東側のフィリポの支配する領地と西側のヘロデの支配する領地の境界の町であり、関税を集める収税所がありました。マタイ9章9以下を読みますと、この町の収税所に座っていた徴税人マタイ(ルカ福音ではレビと呼ばれる)が弟子として招かれました。また、こと町はエジプトにもメソポタミアにも通じ街道沿いにあり、この街道を守るためにローマの軍隊も駐留していました。この町の百人隊長のしもべが病気で死にそうになったとき、イエスさまに助けに来てくださるように頼んだのですが、町の長老たちはその百人隊長について《あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです》(ルカ7章4~5)と熱心にとりなしています。

その会堂でしょうか、きょうの福音に《イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた》とあります。会堂、シナゴーグとは、町々村々に建っていて、ユダヤ人が安息日に共に礼拝をするために集まる建物です。そこで賛美を歌い、聖書を読み、説教を聞き、祈るのです。これが、私たちキリスト教徒の礼拝の原型になっています。外国に離散したユダヤ人たちの集落にも会堂があって、礼拝と聖書の学びと交わりの場となっています。東京にも広尾の日赤医療センターの道向かいにあり、もう昔のことですが、私も神学生のときに一度だけ、4~5人の同級生と安息日の礼拝を見学させていただきました。

イエスさまがそこで話しますと、《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》。この文には、教えの内容は書かれていませんが、その要旨は、15節にあった通りです。「時は満ちた。神の国は近づいた。神に立ち返れ。福音を信ぜよ」。この権威ある言葉に人々は非常に驚きました。律法学者は先人の言い伝えを守って聖書とくに律法を正しく解釈し、人々に教える権威をもっていたのですが、人々はそういう律法学者の権威を超える権威をイエスさまに見たと言います。イエスさまを通して神は今まさに新しいことをなさろうとしておられるのです。

この出来事をマルコは次のエピソードでさらに展開します。《そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」》。

古代の人々は、人間の力を超えた、目に見えない大きな力を感じたときに、それを霊と呼びました。その力が神から来るものであれば、それは「聖霊」であり、神に反する悪い力であれば「悪霊」です。この悪霊が人のさまざまな病気を引き起こすと考えられていました。悪霊は、「汚れた霊」とか「悪い霊」とか別の名で呼ばれることがありますが、みな同じことです。悪魔は名をサタンといいますが、ベルゼブルとも呼ばれます。悪霊たちの頭であって、神と人間との最大の敵です。

汚れた霊に取りつかれた男の出現によって、礼拝の場が、イエスさまの霊と汚れた霊との対決の場であることが明らかとなります。古代社会では霊と霊の戦いでは、先に相手の正体を見破ってそれを暴露した方が勝つと信じられていました。汚れた霊はイエスさまに《正体は分かっている。神の聖者だ》と叫んで、先制攻撃を仕掛けます。しかし、《イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った》。それは激しい戦いでしたが、イエスさまは汚れた霊をその人から追い払ったのでした。癒された人は、神とのつながり、人との交わりを取り戻したことでしょう。悪い霊にまさる力をもったイエスさまの存在によって、現実に神の国が広がり始めます。ルカ11章20に、《しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ》とあるとおりです。

イエスさまは活動を始めるに先立って、荒れ野でサタンの誘惑を受けられました。最後の誘惑はこうでした。《更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った》(マタイ4章8~11)。

イエスさまの最初の活動として悪霊払いの出来事が書かれているということは、著者マルコがそれだけ大事なことだと考えたからでしょう。なぜなら、神と人との最大の敵である悪魔と悪霊が退けられることにおいて、イエスさまを通して神ご自身が神の国を実現する働きを始めていることが明らかに表われるからです。

霊の戦いとか、悪霊払いの話などは現代の人間に関係のないことと思われるでしょうか。この物語は、イエスさまが人を神と人から引き離そうとする悪の力から私たちを解放し、神と人との正しい関係に立ち返ることができるように今も働いておられる、ということを私たちに伝え、私たちが、この汚れた霊に苦しめられた男の中に、自分自身の内なる闇、汚れ、罪を見るように促しているのです。

《人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった》。

イエスさまの口から出る言葉は何かを成し遂げる力をもっている、と知った人々は、新しい教師の姿を見ました。人々はイエスさまにおいて神と出会って驚いたのです。著者マルコは、礼拝において福音を聞く私たちも、神の聖者であるイエスさまに新たに出会うことを、イエスさまへの洞察を深めることを望んでいます。イエスさまと出会うことがなければ、私たちに救いはないからです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月15日 主の洗礼日 「イエスの洗礼」

マルコによる福音書1章9〜11節
説教: 高野 公雄 師

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

マルコによる福音書1章9〜11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

ルーテル教会の礼拝は、1年の周期でイエスさまの生涯を記念する教会の暦に従って行います。きょうの暦は「主の洗礼日」です。ルーテル教会はローマ・カトリック教会から枝分かれした教会ですから、教会の暦もその伝統を基本としています。しかし、東方正教会(ギリシア正教とかロシア正教など)の伝統からも学んで、独自の暦を使っています。降誕節のあとに顕現節という季節をもち、その第二主日のきょう「主の洗礼」を祝うのも独自性の一つです。

顕現の季節には、イエスさまが神の子として公に現れ出ることを記念しますが、顕現節に「主の洗礼」を強調するのは、東方正教会の伝統です。この強調は、マルコ福音の中で洗礼が果たす役割、また信仰者の生涯において洗礼が果たしうる役割によく合致しており、ルーテル教会はこれを東方教会から受け継ぎました。

教会の礼拝は、暦に従ってその日に配分されている聖書個所を聞くことを中心に行われます。聖書個所の配分は、1年を周期として3セット、A年用(主としてマタイ福音が読まれる)、B年用(マルコ福音)、C年用(ルカ福音)があります。これは、はじめローマ・カトリック教会が採用したものですが、たちまち多くの教派に広まりました。ABCのどれを使うかは、暦年を3で割った余りの数で決めます。余りが1ならA、余り2はB、余り0はCです。今年は2012÷3=670で、余りは2。従ってB年、主としてマルコ福音を読む年に当たります。教会暦の新年は待降節第1主日ですから、B年はすでに2011年11月27日から始まっています。また、なぜ余り1の年をA年とするかと言いますと、さかのぼって紀元1年にマタイ福音を読み始めたと仮定しているからです。

このような次第で、きょうはイエスさまの洗礼をマルコ福音に聞くことを通して記念することになります。

ところで、マルコ福音は、マタイやルカと違ってイエスさまの誕生や幼年時代の物語を伝えていません。マルコは1章1に《神の子イエス・キリストの福音の初め》と書名を書いたあと、すぐに洗礼者ヨハネの活動の紹介とイエスさまの洗礼の場面が始まります。

マルコはイエスさまの伝記を最初に書いた人ですが、それに「福音」または「福音書」(外国語では同じ一つの言葉)という名を付けた最初の人でもあります。マルコにとってはイエス・キリストが人々に語った言葉、人々の間で行った行為のすべてが、と言うよりもイエスさまの存在そのものが、福音(「良い知らせ」という意味)だったのです。

余談になりますが、「マルコによる福音書」という書名は、後から他の福音書が書かれるようになってから、それらを区別するために付けられた名前です。初めにマルコ福音が書かれたときには区別の必要がありませんでしたから、書名は「神の子イエス・キリストの福音の初め」で良かったのです。

そのイエスさまの活動の初めが、ヨルダン川における洗礼者ヨハネによる洗礼でした。9節に《そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた》とある通りです。この出来事は、イエスさまの活動開始の前提となるという意味でも、記念するに値する出来事です。しかし、洗礼を受けたという客観的な事実以上に大切なのが、それにともなって起こった二つのことです。

一つは、《水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった》(10節)ことです。「天が裂けて」というと、天が自分から開いた印象になりますが、原文は「天が裂かれて」、つまり主語が隠された言い方で、神が天を切り開いたという出来事の重大さを表わす表現です。この表現は、イザヤ63章19を思い出させます。《あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、わたしたちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように》。

裂かれた天からは聖霊が鳩のように降り、新たな時代が始まりました。聖霊によって権威を与えられたイエスさまは、ご自分に従う者に《聖霊で洗礼をお授けになる》でしょう(1章7~8)。私たちの受ける洗礼は、イエスさまが自らの身体で聖化した洗礼なのです。そのためにイエスさまは洗礼をお受けになりました。

もう一つは、《すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた》(11節)ことです。この出来事には、大勢の人々にイエスさまは神の子であると現されたという面と同時に、イエスさま自身が神の子としての使命を自覚したという面の両方があると思われます。この天からの声の背景となるのが、きょうの第1朗読の言葉です。《見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む》(イザヤ42章1~4)。

これは、「主の僕の召命」と呼ばれる個所です。つまり、「あなたはわたしの愛する子」という言葉には、イエスさまが神の子として、しかしイスラエルの王というイメージではなく、「主の僕」としての使命を生き始めることが示されているわけです。「主の僕」は民の罪を背負って死にます。イエスさまも十字架で死にます。ヨルダン川での洗礼はゴルゴタの丘の前触れでもあります。その意味でも、イエスさまは始めに洗礼を受けるのです。

イエスさまは神の愛する子であります。これから始まる物語のすべては、何にもましてイエスさま自身と、彼を通して神がなされたことの物語です。その意味でもイエスさまの洗礼は重要です。

ところで、「あなたはわたしの愛する子」という神の言葉は、私たちすべてに向けて語られている言葉でもあります。私たちの受ける洗礼はそのことを意味しています。洗礼は単なる回心のしるしではなく、聖霊の働きにより人を神に結びつけ、神の子とし、神のいのちにあずからせるものなのです。

これについて、使徒パウロはこう書いています。《あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です》(ガラテヤ3章26~29)。

洗礼とは、それを受ける者が神の愛される子、神のみ心に適う者であることが、はっきりと示されることです。また、洗礼はキリスト信者になるための入門儀礼ですが、ある組織に入会することを自分で決めて、そのための儀礼を受けるということとは違います。洗礼は、私たちの決意や決断に先立ってある神の決断の中に自分があることを喜びと感謝をもって受け入れることなのです。神の決断とは、イエス・キリストを通して私たちに明らかに示されたものですが、どんな時も私たちを愛し抜き、支え抜くという決断です。この神の決断が私たちの決断を生み出します。私が神を見つけ、私が選んだのではなく、神がこの私を愛し、背負い続けてくださるのです。そこに信仰の根拠があり、私の決断が生まれていく源があり、そこで洗礼への私たちの決意が生まれていくのです。

洗礼は、神によるキリストと私の「結び」です。新たに始まったこの年も、神さまに固く結ばれた者としてみ心に適った歩みができるよう、恵みと導きを祈りつつ、心を新たにいたしましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン