2012年9月2日 聖霊降臨後第14主日 「言い伝え批判」

マルコによる福音書7章1〜15節
高野 公雄 牧師

ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」

更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
マルコによる福音書7章1~15節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった》。
前二週はイエスさまの奇跡物語でしたが、今週は論争物語になります。イエスさまの論争相手は「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たち」です。福音書には、イエスさまの敵対者として、ファリサイ派やその他の会派の人々が現われますので、まずはユダヤ教の会派についての話から始めたいと思います。

イエスさまの時代のユダヤ教は幅の広い宗教でした。イエスさまとその弟子たちはユダヤ教イエス派と呼ぶことができるグループです。それに福音書に出てくるファリサイ派とサドカイ派。聖書には出てきませんが、荒れ野の修
道院で厳格な生活をするエッセネ派。これは、洗礼者ヨハネのグループと似た禁欲主義的な集団だったようです。その他にも、熱心党とかヘロデ党などのグループがありました。

サドカイ派は、当時の指導者階級でした。エルサレム神殿に仕えた祭司階級であって、最高法院(サンヒドリン)では議員の多数派であり、与党でした。イエスさまを裁いた大祭司カイアファは、最高法院を代表する総理大臣でしたし、祭司長たちは大臣でした。彼らは、政治や思想面では、世界の流れに妥協的でした。

ファリサイ派は、ローマ帝国の影響を極力排除しようとする点で、サドカイ派と対立していました。最高法院では少数派であり、野党でした。祭司ではなく、信徒のエリート集団、学者集団であり、律法を解釈して実生活に適用するよう努める人々でした。彼らは、町々村々にあるユダヤ教会堂を通して、律法を国民生活の中心に置こうと努めていました。しかしまた、一般庶民階級を「律法を知らない群衆」として軽蔑してもいました。この点で、イエスさまはこのグループを買っていなかったと考えられます。なお、のちに異邦人伝道の使徒となったパウロはファリサイ派の教育を受けたと言います(使徒言行録26章1~11)。

律法学者は、ほとんどがファリサイ派でしたが、サドカイ派に属する学者もいました。
イエスさまの十字架上の死と、マルコ福音書が書かれたいた時では、およそ四十年の隔たりがありますが、その間にユダヤ教は一変してしまいます。西暦66年~70年にユダヤ戦争といって、ユダヤ人たちが一斉に蜂起して、ローマ帝国に対して反乱を起こします。相当に善戦したと言って良いと思いますが、最終的にはローマ軍によって制圧されます。そしてエルサレムの神殿は、今日、「嘆きの壁」と呼ばれる神殿の西壁だけを残して、完全に破壊されました。イエスさまご自身が神殿の崩壊を予告して、《これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない》(マルコ13章2)と言っている通りになりました。そして、ローマ軍はユダヤ人がエルサレムに住むことも入ることも禁じました。これによって、ユダヤ教にとって一番大事な祭儀であった神殿における犠牲の奉献ができなくなり、サドカイ派は没落します。指導権を取って変わったのが、ファリサイ派です。ファリサイ派は会堂で聖書を読むことを礼拝の中心とする宗教としてユダヤ教を立て直しました。それが、今日に続いているユダヤ教です。

70年以降、ユダヤ教の主導権を握ったファリサイ派は、イエス派を異端として破門し、ユダヤ教会堂から追放しました。このことは、ヨハネ福音の9章22、12章42、16章2と3回出てきます。ユダヤ教イエス派がキリスト教として独立する転機になりました。その他のグループは衰退して、ユダヤ教全体が、ファリサイ派の信仰一色となったのです。

《そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」》。

「食事の前に手を洗う」ということは、今でも通用する鉄則ですが、ここで問題になっているのは、ユダヤ教に特有の宗教儀礼としての浄、不浄の観念です。「汚れた」と訳されたギリシャ語コイノスは、一般的には「普通の(英語のcommon)」と訳される言葉で、宗教的な「きよめ」の儀式を経ていないという意味です。
3節と4節はダッシュに囲まれていて、著者マルコの注なのですが、念入りに手を洗う儀礼は「昔の人の言い伝え」であって、みんなが守っていた、と書かれています。これは、ただ昔からそう言い伝えられてきたということではなく、「昔の人」とは、原語で「長老、プロスビュテロイ」、すなわち過去の偉大な律法学者を指す用語です。「言い伝え」とは、モーセの律法を現実に適用するために行われた長老たちの律法解釈の口伝えによる伝承を指す用語です。これを勉強して、新たな現実に適用するのが、「ファリサイ派の人々と律法学者たち」の専門領域ですから、彼らにとってはいい加減にはできないことだったのです。なお、この口伝が後の時代には「ミシュナ」や「タルムード」という膨大なユダヤ教文書となって、現代にまで伝えられています。

《イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」》。

その口伝を律法学者たちはモーセの律法と同じ権威があるものと考えて受け継いできました。その「言い伝え」は積み重ねられて煩瑣なものになり、律法の真意が覆い隠されてしまうほどになっていました。

永遠の真理と考えられた律法も、時代の変化によって、それをどう適用するかという問題が生じてきます。そのとき、現実に合わせるということの中に、自分たちの都合に合わせようとする動機が紛れ込む余地が生じます。そのようにして、形の上では律法を守っていても、実質的には本来の律法の主旨にかなわないことを行っているという事態が、実際に起きてしまうのです。イエスさまは、神の掟と「言い伝え」が両立ではなく、対立するに至っている実態を指摘して、律法学者たちを「偽善者」と呼んで厳しく批判しています。ここで「偽善者」とは、不正を行いながら正しい言動をしているように装う人のことではなく、たとえその人が本心から正しいことを行なっているつもりでも、神の目から見て誤りであり不正であれば、その人を「偽善者」と言っています。
「解釈」というのは、もろ刃の剣であって、注意深く行なわなければなりません。日本の平和憲法も、解釈改憲と言われるように、平和憲法を守っていると言いながら、強大な軍事力をもち、海外への派兵も合法化されようとしています。

《更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている」》。

イエスさまはその例証として、コルバンの風習を取りあげます。コルバンとは、もとは神殿への献げ物を指すふつうの言葉でした。コルバンにすると誓った動物や品物は、律法では聖いものとされて日常の用に使うことはできませんが、「言い伝え」ではその後の扱いは誓った本人に任されたようです。それで、実際には神殿に献げないのに、人に使わせないだけのために、これはコルバンだから使えませんよというようなやり方が広まりました。こうして、「言い伝え」によって《父と母を敬え》という律法が無にされる例を、きょうの福音は鮮やかに描いています。

私たちも日本の精神風土にあって良識に従って振る舞っているつもりが、イエスさまの目で見る視点、福音から見る視点が抜けているために、的の中心を外して振る舞っていないかどうか、省みる必要があります。私たちが世間の常識に従って行動するとき、イエスさまの言葉にあるように、「神の言葉を無にして」いはしまいかと、一度、立ち止まって考えてみることが必要です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
アーメン

2012年8月26日 聖霊降臨後第13主日 「湖の上を歩く」

マルコによる福音書6章45〜52節
高野 公雄 牧師

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

マルコによる福音書6章45~52節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、イエスさまが湖の上を歩くという奇跡が語られています。これは先週の主日礼拝ときのうの開会礼拝で聞いた五千人にパンを与えた物語とともに、現代的な教育を受けてきた私たちにとって一番受け入れにくい物語だと思います。それで、きょうはまず、福音書の奇跡を読むときに承知しておいたほうが良いと思われることを、前置きとしてお話しすることから始めようと思います。

福音書に書かれた物語が歴史的事実であることは、十七世紀までは疑う人はほとんどいませんでした。ところが十八世紀に入ると啓蒙主義の思想の時代となります。福音書を読むとき何が歴史的な事実であったのかを見極めようとする見方が広まりました。それにともなって、福音書は単なる伝記ではなくて、イエスさまが救い主であることを証しする書物であることが明らかになりました。つまり、十字架と復活のあとで弟子たちがイエスさまこそ救い主であることを悟ったその信仰を証しするために、イエスさまの生前の出来事をふりかえり、信仰上の意義を、つまり福音を解き明かしている書物であると再認識することになりました。

次に、奇跡についてですが、古代の人々は奇跡は起こりうるものと考えていました。事実、奇跡を行う人は、イエスさまに限らず、ローマ帝国中に結構いたのです。当時の人々の感覚からすれば、この世は神々とか悪霊が動かしてものでした。したがって、イエスさまが水の上を歩いたこの奇跡は、救い主である証拠だとは言えません。イエスさまだけが奇跡を行っていたわけではありませんから。このような当時の人々の感覚と、この世界は自然法則に従って動いているのであって、奇跡など眉に唾つけて騙されないように気を付けなければと考える現代人の感覚とのずれが、奇跡物語の理解を難しくしているのだと思います。福音書にとってはイエスさまの奇跡のわざはひとつのしるしであって、そこからイエスさまが誰であるか、その福音を聞きとってほしいと願っているのです。では、きょうのテキストに入ります。

《それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた》。

五千人に食事を与えた出来事のあと、イエスさまは先に弟子たちをベトサイダへと送り出し、群衆を解散させると、ご自分はひとり祈るために山に行かれました。民衆のご自分への期待がふくらむ中で、いっそう神との交わりの時を必要とされたのでしょう。

ベトサイダはガリラヤ湖北岸の町で、ヨルダン川の東側にあります。川をはさんだ西側にはイエスさまのガリラヤ伝道の拠点となった町、カファルナウムがあります。

《夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた》。

日本語の「夕方」は日没前後のまだ明るさの残っている時間帯を意味すると思いますが、ここでの「夕方」と訳された言葉「オプシア」はすでに暗くなっているけれど人がまだ起きている時間帯を指しますから、日本語ではもう「夜」と言って良いでしょう。平行記事であるヨハネ6章17には「既に暗くなっていた」と書かれています。

ガリラヤ湖は世界一深い地溝帯にあり、その湖面は地中海の海面より200メートル以上も低く、また水深も200メートル以上ありました。東岸は断崖が迫っています。ときに夕方からは峡谷から強い風が吹き降りてきました。逆風のために漕ぎ悩んでいる遠くの弟子たちを暗闇の中で見ることができたことも不思議ですが、「夜が明けるころ」(これは3時から6時の時間帯を指す用語が使われています)、もっと不思議なことにイエスさまは「湖の上を歩いて」弟子たちのところに行きます。そして、さらに不思議なことに、彼らの「そばを通り過ぎようとされた」とあります。助けに来たように見えて、実際には通り過ぎて行ってしまうのでしょうか。

さて、意外と思われるかもしれませんが、この物語の中心聖句は、このイエスさまが彼らのそばを「通り過ぎようとされた」という言葉にあります。じつは、「通り過ぎる」という言葉は、神がある人にご自分を現わすことを意味する言葉なのです。つぎに、この言葉の三つの用例を挙げたいと思います。

《また(主は)言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない」》(出エジプト記33章20~23)。神を見たいというモーセの願いに答えて、神はご自分の手でモーセを覆いながら通り過ぎました。「通り過ぎる」は神が人にご自分を現わすことを指す言葉であることが分かります。

《エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた》(列王記上19章9~13)。アハブ王の追及を恐れて逃げ回っているエリヤを力づけるために、神は彼の前を通り過ぎて行かれました。ここでも「通り過ぎる」は、神が人にご自分を現わすことを指しています。

《「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」》(ルカ福音書12章35~38)。これはイエスさまの訓示ですが、「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」の「そばに来て」と訳された言葉が、実はギリシア語原文では「通り過ぎる」と同じ言葉「パレルコマイ」です。イエスさまは終末の宴では私たちのところに来て、自ら給仕してくださるというのです。

《夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた》という文章は、イエスさまがそばを通って去って行ってしまうということを言っているのではなく、漕ぎ悩んでいる弟子たちにイエスさまがご自分を神として救い主として現わして、励まし助けてくださったことを表わしています。

《弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである》。

逆風に遭って苦しんでいる弟子たちにご自分を救い主として現わされたことは、激励の中の「わたしだ」という言葉からも証明できます。

《モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」》(出エジプト記3章13~14)。これはモーセがエジプトに遣わされるときの神との会話ですが、ここで「わたしはある」と訳された言葉と「わたしだ」は同じ言葉「エゴー・エイミ」です。これは神の名でもあり、また、神はいつもあなたと共にいるという神の人に対する信実を表わす言葉でもあります。

イエスさまは弟子たちに「わたしは幽霊ではなく、イエスだよ」と言っているのではなく、「わたしは神であり救い主である。いつもあなたがたと共にいて、あなたがたを救う」、だから「安心しなさい。恐れることはない」のです。《イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた》とあるとおりです。

私たちもまた、弟子たちと同じように、暗くて行く先も定かに見通せない旅の途上にあって、逆風に漕ぎ悩んでいる者たちです。そういう私たちにとって、イエスさまは救いの神です。必ずや無事に対岸の波止場に導いてくださいます。私たちはそう信じて生きて行きます。この物語に、アーメン、アーメンと応えたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年8月19日 聖霊降臨後第12主日 「パンをふやす」

マルコによる福音書6章30〜44節
高野 公雄 牧師

さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。

マルコによる福音書6章30~44節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである》。

イエスさまが十二人の弟子を派遣した先週の箇所の結びには、《十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした》(マルコ6章12~13)とありました。きょうの福音はこれに続く話です。送り出されていた弟子たちが戻ってきて、自分たちが経験したことを報告します。すると、人々が集まってきて、食事をする暇もなかったので、イエスさまは弟子たちを人里離れた所に導いて、休ませてあげようとします。

《そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた》。

イエスさまと弟子たちは群がる人々を避けて、ガリラヤ湖の対岸に退きます。ところが人々はそれに気づいて、駆け出して、イエスさま一行よりも先に着いたというのです。走った者たちの方が舟よりも早く着いたというのが本当か否かはともかく、それほど熱心に人々はイエスさまの福音を求めていたのです。

《イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた》。

イエスさまは駆けつけた人々の様子を「飼い主のいない羊」のようだと見て「深く憐れみ」、休む暇もなく、いろいろと教え始められました。

羊は弱い動物なので、群れを守る羊飼いの役割は重要です。聖書はしばしば民の指導者を羊飼いにたとえています。本日の第一朗読・エレミヤ23章1~6では、《災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは》と利己的な指導者を責め、《「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる》と、良い羊飼いの出現が預言されていました。「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れむ」イエスさまは、まさにこの預言を実現するお方です。

ところで、この「深く憐れむ」という言葉は、ギリシア語原文では、腸(はらわた、スプランクノン)を動詞化したもので、目の前の人の苦しみを見たときに、こちらの腸が揺さぶられることを表わしています。この語は、相手の痛みをわがことのように感じてしまう深い共感を表わす特別な言葉でして、聖書では、人には使われず、神またはイエスさまにのみ用いられています。これが、イエスさまの愛のわざを湧き出させている源泉だったのです。

この「深い憐れみ」からイエスさまは群衆に「いろいろと教え始められました」。《人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる》(マタイ4章4)と書いてあるとおり、まずは神の国の福音を宣べ伝えます。そして次には五つのパンと二匹の魚で大勢の人々を養うのですが、これは、礼拝の頂点が、「みことばの部」と「聖餐の部」と二つあることを表わすかのようです。

《そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です」》。

弟子たちは食事をする暇もなく、人々は食事をすることも忘れて、熱心に教えを聞いているうちに、夕暮れが近づいてきました。弟子たちは空腹になった人々を解散させるようイエスさまに進言します。ところが、案に相違して、イエスさまは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言います。日雇い労働者の一日の賃金が一デナリオンです。計算を単純にするために日当を一万円としますと、弟子たちはパンを二百万円分買ってもまだ足りないだろうと言っています。五千人で割ると、一人四百円見当ということになりますが、ともかく夕方になって急に五千食を手に入れるなど、まったく無理な話です。だからと言って、手元にあるパン五つと魚二匹だけではどうしようもありません。一つのパンを千人で分け合う計算です。ところが、です。

《そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した》。

イエスさまはパンを手に取り、賛美の祈りを唱えてパンと魚を裂き、配ります。先にイエスさまが弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じられた通り、弟子たちが彼らに配る間に、奇跡が起こります。パンはふえて、すべての人が満腹したのです。

本日の礼拝の始めに、賛美頌・詩編23編を交唱しましたが、この出来事はまさにそこで歌われている光景の再現です。《主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける》。

《そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった》。

五つのパンは食べる前よりも食べた後の方がはるかに多くなっています。十二人のもつ籠にはまだいっぱい残っています。これは、イエスさまの養いのあり余る豊かさを描いているのでしょう。

この「五千人の養い」は、よほど強い印象を与えた出来事だったと見えて、四つの福音書全部に共通する唯一の奇跡です。しかし、この奇跡が、パンがふえて五千人が満腹したということだけを言うのであれば、それは二千年前の出来事として終わってしまいます。この記事で聖書が伝えたいことは、イエスさまの人々に対するあの「深い憐れみ」であり、イエスさまこそが「良い羊飼い」であって、信じる者に永遠の命を与える「命のパン」であるということです。《わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない》(ヨハネ6章35)と、言っておられるとおりです。

イエスさまの恵みあふれる力に信頼して、私たちもまた豊かな祝福をいただけることを信じて、昔の弟子たちのようにイエスさまのみわざに奉仕する者でありたいものです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年8月12日 聖霊降臨後第11主日 「十二弟子を派遣する」

マルコによる福音書6章6b〜13節
高野 公雄 牧師

それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」

十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

マルコによる福音書6章6b~13節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった》。

イエスさまは、まずガリラヤ湖周辺の町や村で活動したあと、先週の福音で読んだように、故郷であるナザレ村に行き、教えを宣べ伝えたのですが、故郷の人々、身内の人々に受け入れられませんでした。それで、ナザレ村を出て、付近の村々を巡り歩いて、宣教することにしました。

《そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた》。

イエスさまの活動の、次の段階がきょうの福音です。十二弟子を二人ずつ組にして遣わすこととされました。この十二人の選びについては、すでに3章にこう報告されています。《イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった》(マルコ3章13~15)。彼らはいつもイエスさまのそばにいて、その言行をよく見習っていました。そして、ついにいま宣教に遣わされることになりました。「使徒」という呼び名は、ここに記されているように、使命を託されて「派遣された人」という意味です。

さて、弟子たちは二人一組で派遣されました。これは当時すでにユダヤ教の習慣だったそうです。マルコ3章では12人の名がただ羅列されているだけですが、マタイ10章の弟子の表では、二人一組の形で記されています。ルカ24章のエマオ村に落ち延びる弟子も二人連れでしたし、使徒言行録によればパウロの伝道旅行も最初はバルナバと、のちにはシラスと一緒でした。

「二人ずつ組にして」ということに、どんな意味があったのでしょうか。まずは、未知の土地に旅するときに、互いに助け合うことができて安全だということが考えられます。キリスト教は愛の宗教です。信徒同士が互いに愛し合う姿を示せれば、それ自体が信仰の証しになります。また、二人の証人が宣教内容の信ぴょう性を保証するということも考えられます。律法の規定に、《いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない》(申命記19章15)とあります。これは、神の国の福音を証しする場合にも適用することができるでしょう。人が福音を受け入れるにしても拒否するにしても、二人一組の弟子たちは有効な証人となることができます。

《その際、汚れた霊に対する権能を授け》

マルコは弟子たちがイエスさまから権能が与えられたことを強調します。弟子たちは、神の国の福音を宣べ伝えるのですが、当時の世界では身体と精神を痛めつける悪霊を追い払うことができなければ、人々から伝道者として認めてもらえなかったのです。それほどに、どの宗教に限らず、今日の目から奇跡に見えようが見えなかろうが、そうした力をもって活動をするさまざまな人々がいたのです。彼らは「神の人(テイオス・アネール)」と呼ばれました。イエスさまも弟子たちもそのうちの一人と見なされていたようです。ですから、福音書は、イエスさまや弟子たちがそうした奇跡をできたこと自体を強調してはいません。むしろイエスさまの言動全体を伝えることによって、イエスさまこそがまことの「神の人」であると主張しているのです。

ところで、これらの人々は、巡回伝道者として活動していました。彼らは各地を旅してまわり、町の広場や集会所または路傍で活動しました。彼らは集まる人々に金品や食べ物を乞い、宿を提供する人を見出したのです。教えを聞く者が宿や食べ物を提供するのか当時の習慣であり、またそうすることが美徳であって、報いられると信じていたのです。

ファリサイ派の巡回伝道者もいました。マタイ福音書は彼らについて、《律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ》(マタイ23章15)と書いています。

《旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた》。

これが、イエスさまが弟子たちに与えた伝道の旅の心得です。当時の巡回伝道者の活動条件が前提とされているとはいえ、非常に粗末な装備です。伝道者は神の守りと配慮に信頼して出かけるのですが、この生き方は伝道者に大きな決断が求められたことでしょう。そして、神の守りは、善意な人を介して与えられます。

私たちは、人の世話にならないことを目指して教育されてきたと思いますが、神の配慮に信頼して生きるということは、人との出会いに信頼して生きることでもあります。ボランティア活動で人の世話はするが、自分は人の世話にはなりたくないと思う人がほとんどだと思います。でも、本当は、人は持ちつ持たれつだと本気で考えるのが、ボランティア精神なのだろうと思います。そうした心がないと、本当の奉仕はできないのかもしれません。

《また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい》。

神の人と見なされた人々が世界各地を巡り歩いていました。中には、良いもてなしを求めて宿を換える人がいたのでしょう。新約聖書に続いて二世紀前後に書かれた「ディダケー(十二使徒の教訓)」という書名の、キリスト教最初の教理問答書があります。そこでも、信徒に巡回伝道者に宿を提供することを勧めていますが、こう注意しています。宿の提供は原則一泊のみ、場合によっては二泊させても良い、しかし三泊を求めるのは偽預言者だと。また、宿を去るときは、その日の食べ物を持たせなさい、しかし金品を求めるのは偽預言者だと。伝道者には、宿を提供する人に大きな負担をかけない姿勢が求められていました。

《しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい》。

弟子たちが町々村々に出かけたとき、イエスさまがナザレ村で受け入れられなかったように、誰ひとり耳を傾ける人も、宿を貸す人もいない所もあったことでしょう。そのときは、福音を必要としている次の村を目指せということです。出ていくとき、「足の裏の埃を払い落す」という仕草は、ユダヤ人が異教の地から戻って、自国に入るときと同じです。それは異教の汚れを聖地に持ち込まないという意味がありました。ここでは、その地の人々との決別を意味するものでしょう。使徒言行録にはピシディア州のアンティオキアにおけるパウロたちの例が描かれています。《ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った》(使徒言行録13章50~51)。

迎え入れる者がいなければ次の町に移り、迎えてくれる家があればそこにとどまる。これは、いつ時代でも宣教の指針でしょう。人との出会いを大事する、そのことによってこの地に教会ができたし、浦和に学校ができたりしました。

《十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした》。

弟子たちはイエスさまと同じことをする、イエスさまの代理人です。マルコはイエスさまの活動について、こう書いていました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章14~15)。弟子たちも福音を説いて、人々が神に立ち帰ることを促しました。また、イエスさまと同じく多くの悪霊を追い出しました。イエスさまが「油を塗って」いやしたとい記事は見当たりませんが、そういう習慣があったようです。《あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます》(ヤコブの手紙5章14~15)。

イエスさまは何度か弟子たちを派遣していますが、弟子たちを少しずつ成長させてくださったのでしょう。私たちもさまざまな奉仕の機会を与えられて、成長させていたくのだと思います。

宣教師たちの熱心な証しによって、今の私たちの教会も存在しています。彼らの信仰を受け継いで、私たちもイエスさまから派遣されている者であることを自覚し、この地に福音を証しするものでありたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン