2012年1月29日 顕現節第4主日 「みことばの権威」

マルコによる福音書1章21〜28節
説教: 高野 公雄 師

 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

マルコによる福音書1章21〜28節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週は、きょうの福音の直前の個所を聞きました。《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(マルコ1章15)と。ここに短く記された言葉は、イエスさまがあらゆる機会に語った説教に一貫する要旨はこれですと、マルコがイエスさまの宣教活動を語るにあたって、最初に読者のために前もって書き記したものでしょう。

次に、マルコは、イエスさまがガリラヤ湖の漁師四人に対して《わたしについて来なさい》(1章17)と招いて弟子としたことについて書いています。きょうの福音はその続きであって、ガリラヤでイエスさまが活動をする様子を描いています。《一行はカファルナウムに着いた》という記述から始まっていますが、「一行」とは、イエスさまとその後に従う弟子たちを指します。

ここでカファルナウムという町について説明をしておきましょう。この町は、北のヘルモン山(標高2830M)に発したヨルダン川が南下してガリラヤ湖(地中海海面下212M)に注ぐ川口のすぐ西側に位置する、福音書にしばしば出てくる湖畔の町です。29節以下の物語にある通り、シモン・ペトロとアンデレの家はこの町にありました。それだけでなく、イエスさまはこの町を拠点としてガリラヤの町々村々を廻ったようで、《イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた》(マタイ9章1)とあります。この町はヨルダン川の東側のフィリポの支配する領地と西側のヘロデの支配する領地の境界の町であり、関税を集める収税所がありました。マタイ9章9以下を読みますと、この町の収税所に座っていた徴税人マタイ(ルカ福音ではレビと呼ばれる)が弟子として招かれました。また、こと町はエジプトにもメソポタミアにも通じ街道沿いにあり、この街道を守るためにローマの軍隊も駐留していました。この町の百人隊長のしもべが病気で死にそうになったとき、イエスさまに助けに来てくださるように頼んだのですが、町の長老たちはその百人隊長について《あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです》(ルカ7章4~5)と熱心にとりなしています。

その会堂でしょうか、きょうの福音に《イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた》とあります。会堂、シナゴーグとは、町々村々に建っていて、ユダヤ人が安息日に共に礼拝をするために集まる建物です。そこで賛美を歌い、聖書を読み、説教を聞き、祈るのです。これが、私たちキリスト教徒の礼拝の原型になっています。外国に離散したユダヤ人たちの集落にも会堂があって、礼拝と聖書の学びと交わりの場となっています。東京にも広尾の日赤医療センターの道向かいにあり、もう昔のことですが、私も神学生のときに一度だけ、4~5人の同級生と安息日の礼拝を見学させていただきました。

イエスさまがそこで話しますと、《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》。この文には、教えの内容は書かれていませんが、その要旨は、15節にあった通りです。「時は満ちた。神の国は近づいた。神に立ち返れ。福音を信ぜよ」。この権威ある言葉に人々は非常に驚きました。律法学者は先人の言い伝えを守って聖書とくに律法を正しく解釈し、人々に教える権威をもっていたのですが、人々はそういう律法学者の権威を超える権威をイエスさまに見たと言います。イエスさまを通して神は今まさに新しいことをなさろうとしておられるのです。

この出来事をマルコは次のエピソードでさらに展開します。《そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」》。

古代の人々は、人間の力を超えた、目に見えない大きな力を感じたときに、それを霊と呼びました。その力が神から来るものであれば、それは「聖霊」であり、神に反する悪い力であれば「悪霊」です。この悪霊が人のさまざまな病気を引き起こすと考えられていました。悪霊は、「汚れた霊」とか「悪い霊」とか別の名で呼ばれることがありますが、みな同じことです。悪魔は名をサタンといいますが、ベルゼブルとも呼ばれます。悪霊たちの頭であって、神と人間との最大の敵です。

汚れた霊に取りつかれた男の出現によって、礼拝の場が、イエスさまの霊と汚れた霊との対決の場であることが明らかとなります。古代社会では霊と霊の戦いでは、先に相手の正体を見破ってそれを暴露した方が勝つと信じられていました。汚れた霊はイエスさまに《正体は分かっている。神の聖者だ》と叫んで、先制攻撃を仕掛けます。しかし、《イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った》。それは激しい戦いでしたが、イエスさまは汚れた霊をその人から追い払ったのでした。癒された人は、神とのつながり、人との交わりを取り戻したことでしょう。悪い霊にまさる力をもったイエスさまの存在によって、現実に神の国が広がり始めます。ルカ11章20に、《しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ》とあるとおりです。

イエスさまは活動を始めるに先立って、荒れ野でサタンの誘惑を受けられました。最後の誘惑はこうでした。《更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った》(マタイ4章8~11)。

イエスさまの最初の活動として悪霊払いの出来事が書かれているということは、著者マルコがそれだけ大事なことだと考えたからでしょう。なぜなら、神と人との最大の敵である悪魔と悪霊が退けられることにおいて、イエスさまを通して神ご自身が神の国を実現する働きを始めていることが明らかに表われるからです。

霊の戦いとか、悪霊払いの話などは現代の人間に関係のないことと思われるでしょうか。この物語は、イエスさまが人を神と人から引き離そうとする悪の力から私たちを解放し、神と人との正しい関係に立ち返ることができるように今も働いておられる、ということを私たちに伝え、私たちが、この汚れた霊に苦しめられた男の中に、自分自身の内なる闇、汚れ、罪を見るように促しているのです。

《人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった》。

イエスさまの口から出る言葉は何かを成し遂げる力をもっている、と知った人々は、新しい教師の姿を見ました。人々はイエスさまにおいて神と出会って驚いたのです。著者マルコは、礼拝において福音を聞く私たちも、神の聖者であるイエスさまに新たに出会うことを、イエスさまへの洞察を深めることを望んでいます。イエスさまと出会うことがなければ、私たちに救いはないからです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月15日 主の洗礼日 「イエスの洗礼」

マルコによる福音書1章9〜11節
説教: 高野 公雄 師

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

マルコによる福音書1章9〜11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

ルーテル教会の礼拝は、1年の周期でイエスさまの生涯を記念する教会の暦に従って行います。きょうの暦は「主の洗礼日」です。ルーテル教会はローマ・カトリック教会から枝分かれした教会ですから、教会の暦もその伝統を基本としています。しかし、東方正教会(ギリシア正教とかロシア正教など)の伝統からも学んで、独自の暦を使っています。降誕節のあとに顕現節という季節をもち、その第二主日のきょう「主の洗礼」を祝うのも独自性の一つです。

顕現の季節には、イエスさまが神の子として公に現れ出ることを記念しますが、顕現節に「主の洗礼」を強調するのは、東方正教会の伝統です。この強調は、マルコ福音の中で洗礼が果たす役割、また信仰者の生涯において洗礼が果たしうる役割によく合致しており、ルーテル教会はこれを東方教会から受け継ぎました。

教会の礼拝は、暦に従ってその日に配分されている聖書個所を聞くことを中心に行われます。聖書個所の配分は、1年を周期として3セット、A年用(主としてマタイ福音が読まれる)、B年用(マルコ福音)、C年用(ルカ福音)があります。これは、はじめローマ・カトリック教会が採用したものですが、たちまち多くの教派に広まりました。ABCのどれを使うかは、暦年を3で割った余りの数で決めます。余りが1ならA、余り2はB、余り0はCです。今年は2012÷3=670で、余りは2。従ってB年、主としてマルコ福音を読む年に当たります。教会暦の新年は待降節第1主日ですから、B年はすでに2011年11月27日から始まっています。また、なぜ余り1の年をA年とするかと言いますと、さかのぼって紀元1年にマタイ福音を読み始めたと仮定しているからです。

このような次第で、きょうはイエスさまの洗礼をマルコ福音に聞くことを通して記念することになります。

ところで、マルコ福音は、マタイやルカと違ってイエスさまの誕生や幼年時代の物語を伝えていません。マルコは1章1に《神の子イエス・キリストの福音の初め》と書名を書いたあと、すぐに洗礼者ヨハネの活動の紹介とイエスさまの洗礼の場面が始まります。

マルコはイエスさまの伝記を最初に書いた人ですが、それに「福音」または「福音書」(外国語では同じ一つの言葉)という名を付けた最初の人でもあります。マルコにとってはイエス・キリストが人々に語った言葉、人々の間で行った行為のすべてが、と言うよりもイエスさまの存在そのものが、福音(「良い知らせ」という意味)だったのです。

余談になりますが、「マルコによる福音書」という書名は、後から他の福音書が書かれるようになってから、それらを区別するために付けられた名前です。初めにマルコ福音が書かれたときには区別の必要がありませんでしたから、書名は「神の子イエス・キリストの福音の初め」で良かったのです。

そのイエスさまの活動の初めが、ヨルダン川における洗礼者ヨハネによる洗礼でした。9節に《そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた》とある通りです。この出来事は、イエスさまの活動開始の前提となるという意味でも、記念するに値する出来事です。しかし、洗礼を受けたという客観的な事実以上に大切なのが、それにともなって起こった二つのことです。

一つは、《水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった》(10節)ことです。「天が裂けて」というと、天が自分から開いた印象になりますが、原文は「天が裂かれて」、つまり主語が隠された言い方で、神が天を切り開いたという出来事の重大さを表わす表現です。この表現は、イザヤ63章19を思い出させます。《あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、わたしたちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように》。

裂かれた天からは聖霊が鳩のように降り、新たな時代が始まりました。聖霊によって権威を与えられたイエスさまは、ご自分に従う者に《聖霊で洗礼をお授けになる》でしょう(1章7~8)。私たちの受ける洗礼は、イエスさまが自らの身体で聖化した洗礼なのです。そのためにイエスさまは洗礼をお受けになりました。

もう一つは、《すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた》(11節)ことです。この出来事には、大勢の人々にイエスさまは神の子であると現されたという面と同時に、イエスさま自身が神の子としての使命を自覚したという面の両方があると思われます。この天からの声の背景となるのが、きょうの第1朗読の言葉です。《見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む》(イザヤ42章1~4)。

これは、「主の僕の召命」と呼ばれる個所です。つまり、「あなたはわたしの愛する子」という言葉には、イエスさまが神の子として、しかしイスラエルの王というイメージではなく、「主の僕」としての使命を生き始めることが示されているわけです。「主の僕」は民の罪を背負って死にます。イエスさまも十字架で死にます。ヨルダン川での洗礼はゴルゴタの丘の前触れでもあります。その意味でも、イエスさまは始めに洗礼を受けるのです。

イエスさまは神の愛する子であります。これから始まる物語のすべては、何にもましてイエスさま自身と、彼を通して神がなされたことの物語です。その意味でもイエスさまの洗礼は重要です。

ところで、「あなたはわたしの愛する子」という神の言葉は、私たちすべてに向けて語られている言葉でもあります。私たちの受ける洗礼はそのことを意味しています。洗礼は単なる回心のしるしではなく、聖霊の働きにより人を神に結びつけ、神の子とし、神のいのちにあずからせるものなのです。

これについて、使徒パウロはこう書いています。《あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です》(ガラテヤ3章26~29)。

洗礼とは、それを受ける者が神の愛される子、神のみ心に適う者であることが、はっきりと示されることです。また、洗礼はキリスト信者になるための入門儀礼ですが、ある組織に入会することを自分で決めて、そのための儀礼を受けるということとは違います。洗礼は、私たちの決意や決断に先立ってある神の決断の中に自分があることを喜びと感謝をもって受け入れることなのです。神の決断とは、イエス・キリストを通して私たちに明らかに示されたものですが、どんな時も私たちを愛し抜き、支え抜くという決断です。この神の決断が私たちの決断を生み出します。私が神を見つけ、私が選んだのではなく、神がこの私を愛し、背負い続けてくださるのです。そこに信仰の根拠があり、私の決断が生まれていく源があり、そこで洗礼への私たちの決意が生まれていくのです。

洗礼は、神によるキリストと私の「結び」です。新たに始まったこの年も、神さまに固く結ばれた者としてみ心に適った歩みができるよう、恵みと導きを祈りつつ、心を新たにいたしましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年1月8日 顕現主日 「ユダヤから世界へ」

マタイによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

新年2回目の日曜となるきょうの暦は、顕現主日です。顕現祝日は本来、クリスマスの12日間が終わった翌日の1月6日なのですが、週日に礼拝を守ることの困難な状況から、一般に1月2日から8日の間の日曜日に移して祝われます。

「顕現」は、ギリシア語では「見えるようになる、姿を現わす」という意味で、やや漠然としています。これを「神が人間などの姿をして現れること」ととりますと、それは「降誕」を指すとも考えられます。実際、古代では「顕現」は「降誕」という意味で用いられていたようで、この祝日が定着していたアレクサンドリアでは、この日を「イエスさまの誕生日」だとしていていました。やがて西方から「クリスマス」という祝日が伝わった時、「顕現」は「イエスさまが神の子として認められた日」という現在の意味になってきたようです。

顕現節は降誕節の終わりから四旬節の始まりまで続きます。顕現祝日または顕現主日の福音は毎年、東の博士たちの話が読まれますが、来週以降の各主日には、「これはわたしの愛する子」という点からの声が聞こえたイエスさまの洗礼、イエスさまが水をぶどう酒に変えたカナでの婚礼、イエスさまの姿が光輝き、やはり「これはわたしの愛する子」と天の声が降った山上の変容などを「顕現」の出来事として記念し、祝います。

マルコ福音には誕生物語がなく、「イエスさまの洗礼」から始まっています。古くは「イエスさまが神の子として認められた日」として、顕現祝日には「イエスさまの洗礼」を祝った教会もありました。そうした教会では、東の博士たちの礼拝は、クリスマスと結びつけられました。その影響は、今日にも広く及んでいます。

「顕現」について話はこれまでにして、きょうの福音に戻りましょう。きょうの書き出しは、日本語には訳されていませんが「そのイエスがヘロデ王の時代に・・」と「その」という定冠詞が付いています。これは、前の段落で天使がヨセフに「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と告げ、そして生まれるとお告げに従って「その子をイエスと名付けた」とある、それを受けての「そのイエスが」です。きょうの話は、イエスさまが《自分の民を罪から救う》お方だということを大前提としているのです。しかし、きょうの物語ではイエスさまは背景に退き、主役は東から来た無名の外国人とヘロデ王です。

「占星術の学者」と訳された言葉は、メディア(今のイラン)の一部族であり、ゾロアスター教の祭司階級でもあった人を指しています。ユダヤ人は、そんな外国の異教徒は神と出会うことも、救いにあずかることもできないと考えたでしょう。しかし、神は思いもかけない仕方で、彼らに救い主イエスさまとの出会いを、大きな喜びを与えてくださいました。

ベツレヘムは、エルサレムから7KMほど南にある町ですが、マタイ福音はイエスさまがベツレヘムで生まれたことを、旧約の預言の成就と見ています。ベツレヘムはダビデ王の出身地であり、メシア(ダビデの子孫である理想的な王)はベツレヘムで生まれるという伝承がありました。6節で引用されているミカ書もそのひとつです。預言者ミカは、当時さびれていたベツレヘムの町(いちばん小さいもの)から救い主が誕生すると預言し、これを人の思いを超えた神のすばらしい計画を見ています。

このように、メシア(ギリシア語でキリスト)という言葉にはいつも「王」のイメージが付いているのですが、「イエスさま王である」ということの本当の意味は、降誕物語だけでなく、その生涯全体を見なければ、正しく理解できません。

ヘロデは紀元前37~前4年までローマ帝国からユダヤの王として認められて君臨したのですが、純粋なユダヤ人ではなく、ユダヤの南のイドマヤ人の血を引いていたので、ユダヤ人からは正当な王と認められませんでした。それで《ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか》との言葉を聞いたときに自分の地位を脅かす存在と感じて不安を抱きました。16節以下に、彼がその幼子を抹殺しようとしてベツレヘム周辺の幼児を大量虐殺した話があります。

ところで、この「占星術の学者」は、「3人の博士」とか「3人の王」とイメージされています。マタイ福音には3人ということは書かれてなく、黄金・乳香・没薬という3つの贈り物からいつの間にか3人ということになったようです。そして、博士たちが贈り物をささげたことが、クリスマスにプレゼントをする習わしの元になっていると言われています。

また、3人の博士はよく「らくだ」と共に描かれています。これもマタイ福音には書かれていません。実は、きょう旧約の日課で読んだ預言が元になっているようです。《らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる》(イザヤ書60章6)。

3人の博士は「星」に導かれて旅をしたのですが、この「星」はバラムの預言した「ヤコブの星」を思い起こさせようとしているのでしょう。《わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く》(民数記24章17)。この「星」が、後に「ベツレヘムの星」としてクリスマス・ツリーの天辺に飾られるようになったものです。

占星術の学者たちが幼子イエスさまを訪問したこの出来事は、イエスさまによってもたらされた救いが民族の壁を越えてすべての人にもたらされる、ということを示しています。この東の博士たちによる礼拝の行為は、シメオンの賛歌《これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》(ルカ2章32)に対応するものであり、イエスさまがすべての国の、すべての人々のためにやって来たことを示し、神の業は、世界のほんの少数の人たちだけに限られるものではないことを示す最初のものでした。きょうの説教題は「ユダヤから世界へ」です。二千年前にユダヤに始まったこの救いの知らせは、現に、極東アジアの私たちにも届けられているのです。

一方には遠路はるばる来て礼拝した博士たちがいます。他方にはメシアがどこで生まれるかを知りながら、真に礼拝しようとはしないヘロデや律法学者たちがいます。メシアを一番よく知っているはずの人たちが、メシアから最も遠い人でした。

私たちにとって、博士たちとヘロデたちは、心のうちの二つの態度を象徴していると考えてよいでしょう。労苦に耐えてイエスさまを追い続けようとする心、現状の生温さを守ってイエスさまに背を向けようとする心。誰もが自分の心にこの二面があることに気づくと思います。2012年の歩みを始めるにあたり、前方に輝くイエスさまにしっかりと目を据えて歩む決心を固めたいと思います。イエスさまが愛の力で励まし、支えてくださることを信じて。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

追記
昔から顕現祝日には復活祭その他の日取りを公表する習慣がありました。
復活祭は春分の以後の満月の次の日曜日と定められていますが、今年の春分の日の後の最初の満月は4月7日(土)です。したがって復活祭は4月8日(日)。その50日後の5月19日(日)が聖霊降臨祭になります。

2012年1月1日 主の命名日 「イエスの御名」

ルカによる福音書2章21〜24節
説教: 高野 公雄 師

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

ルカによる福音書2章21〜24節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

街では、12月25日が過ぎますと、さあクリスマスは終わったとばかりに、ばたばたとクリスマスの飾りつけが取り払われ、角松を立ててお正月の仕度が始まります。

しかし、キリスト教会の伝統では、クリスマスは25日で終わるのではなく、25日から始まるのです。1月6日の顕現祝日の前日までの12日間が降誕節つまりクリスマス・シーズンです。英語の子供の歌に「12日間のクリスマス The Twelve Days of Christmas」というのがあるとおりです。欧米のクリスチャンの家庭では、クリスマス・ツリーやその他の飾りを片づけるのは、12日目つまり1月5日の晩というのが習慣です。

ところで、キリスト教の三大祭り、すなわち復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭は、昔から、その当日だけでなく、8日目にもう一度祝うものとされていました。それらは「オクターヴ付きの大祭」という言い方がされます。オクターヴはラテン語で8番目という意味でして、音楽用語ですと、たとえばドから上のドまでの完全8度の音程をいいます。また、一週間を日曜から次の日曜までと数えると、それはオクターヴつまり8番目になります。12月25日のクリスマスのオクターヴは今日つまり1月1日です。きょうはもう一度、クリスマスを祝う日なのです。1月1日は日曜日であってもなくても、クリスマスのオクターヴとして、「主の命名(イエスのみ名)」を祝います。

《八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である》。ユダヤ人の男の子は生後8日目に割礼を受け、名前を付けます。割礼はアブラハムとの契約のしるし(創世記17章10~11)であり、神の民の一員となるしるしであって、割礼を受けることによって神の民としての資格を得ることができるのです。ですから、他の民族の者がユダヤ教に改宗するときも、割礼を受けることが求められました。

この日、イエスさまも割礼を受け、名前を与えられました。その名は、預言されていたものです。マタイ1章20~22に次のようにあります。《(ヨセフが)このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった》。

わたしは大学生の時代にキリスト教への関心を深めたのですが、イエスJesusという名前とイエス・ノーのイエスyesとは何か関係があるのではないかと思って調べましたが、関係ありませんでした。イエスはギリシア語のイエースースをラテン語化したもので、そのギリシア語は旧約聖書のヨシュア記という書物にもなっているヨシュアという人名をギリシア風に音訳したものです。実は、イェシュアに近い発音なのですが、旧約聖書ではヨシュアとカナ書きされ、新約聖書ではイエスとカナ書きされます

イエスすなわちヨシュアという名前の意味ですが、「ヨ」または「イェ」は天地を創造した唯一の神の名ヤハウェの短縮形であり、「シュア」は「救い」です。これを合わせると「神は救いである」という意味になります。

この「救い」という言葉の意味ですが、初めの3世紀の迫害の時代に、「信仰をもっていれば、死んだら天国に行ける」というふうに意味が狭くなってしまいました。今でも救いとはそういう意味だと思っている人がいるかも知れません。ですが、もともとは「完全」「健康」「幸福」などを意味していました。イェシュアという名は「ヤハウェは人の完全さの源、充実した人生を送るための基である」ということを主張しているのです。

この名付けの祝いは、大事なものですが、上手に守ることができませんでした。古代ローマ時代には同じ時に祝われた異教の農業祭の喧騒ために妨げられましたし、現代も新年を迎える各地の習慣に妨げられて、せっかくの休日なのに、残念ですが、聖日として守るために十分には用いられていません。

私たちがイエスという名に敬意を払うのは、その文字や言葉に魔力があると信じるからではありません。この名がイエス・キリストを通して与えられる祝福を思い出させてくれるからです。そしてその祝福に感謝を表わすために、この名を大事にするのです。それは、主のご受難に誉れをたたえるために、十字架を大事にするのと同じことです。

イエスのみ名は、私たちに次の4点を思いいたらせます。

1.キリストは、私たちの身体の必要を満たします。《信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る》(マルコ16章17~18)。イエスのみ名によって、使徒たちは足の不自由な人に力を与えました(使徒言行録3章6、9章34)。

2.キリストは、霊的な試練に慰めを与えます。イエスのみ名は、罪人には放蕩息子の父や善きサマリア人を思い出させ、義人には罪なき神の子羊の苦難と死を思い出させてくれます。

3.イエスのみ名は、サタンとその手下から私たちを守ります。悪魔はイエスの名を恐れています。イエスさまは十字架上で悪魔を征服したからです。

4.キリストは私たちに祝福と恵みを与えます。キリストはこう言います。《その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる》(ヨハネ16章23)。それゆえ、私たちのすべての祈りは「主イエス・キリストのみ名によって」という言葉で終えます。

こうして、パウロの言葉が現実のものとなります。《こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです》(フィリピ2章10~11)。

最後に、このみ名を特別に愛した人、クレルボーの聖バルナール(ベルナルドゥス)に触れておきたいと思います。彼は12世紀の代表的なトラピスト修道士ですが、この名への崇敬を生き生きした表現で説教し、またこの名によって病人を癒しました。彼は説教の終わりに、IHSと彫った板を集まった人々に示し、これにひれ伏すことを求めました。当時イエスの名はIHESUSと綴られており、IHSはその初めと終わりの3文字でした。この3文字は今でも祭壇布のデザインなどに使われています。

このベルナルドゥスは「血しおに染みし主のみかしら」(教会讃美歌81)の作詩者であり、バッハの編曲は「マタイ受難曲」でも用いられていて、私たちにも無縁は人ではありません。

ベルナルドゥス以来、伝統的に、敬虔なキリスト教徒は、イエスのみ名が発せられるたびに、頭を垂れたのです。私たちはこの習慣を身に着けていませんが、これを回復すべきだと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン