2014年5月18日 復活後第4主日 「どこからきて、どこへいくのか」

ヨハネによる福音書14章1〜14節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

「私は道であり、真理であり、命である。」主イエスは弟子たちに、そして御言葉を聞く私たちに、こう語りかけられます。「私は道であり」、これは「私こそが道である」と訳せます。主イエスが神様の救いに至る何か特別な道を説明し、それを私たちに勧めているわけではありません。主イエス、この方こそが唯一の真理と命の道、そのものであるとご自身は語っておられるのであります。Read more

2014年5月11日 復活後第3主日 「命の羊飼い」

ヨハネによる福音書10章1〜16節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

第16回教団総会が5月5日から6日の2日間にかけて開催されました。3年後に宗教改革500周年を迎えます。私たちは、私たちの教会は常に御言葉に立ち返り、ただ主の憐れみによってのみ生かされ、立たされているという主の恩恵を再確認し、福音の豊かさを証していくということ、そのようなルターを初め、宗教改革の精神を改めて分かち合う、そのような総会のひと時であったかと思います。今後3年間の宣教主題に、次のルターの言葉が引用されました。「我ここに立つ。主よ、憐れみたまえ」。正確には「わたしはほかになしえない。わたしはここに立っている。神よ、わたしを助けたまえ。アーメン。」Read more

2014年5月4日 復活後第2主日 「見える事実、見えない真実」

ヨハネによる福音書20章24〜29節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

復活後第2主日を迎え、本日の福音はディディモと呼ばれる12弟子の一人、トマスの物語です。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言ったこのトマスの言葉から、「疑い深いトマス」という呼び名が生まれました。または英語の「doubt」疑いという言葉の関連用語に「doubting Thomas」という言葉があります。Read more

2014年4月27日 復活後第1主日 「心を開いて」

ヨハネによる福音書20章19〜23節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

2日前の4月25日はこの六本木ルーテル教会にとって、特別な記念日であります。今から10年前に、新会堂が完成し、現在の建物になったこの教会で献堂式が執り行われました。私は前の建物を直接見たことはないので、この六本木教会が歩んできた歴史の生き証人ではありませんが、この新会堂が出来上がるまでには、多くの困難と苦悩があったということを聞き及んでいます。新しい会堂に対する期待の声だけがあったわけではなく、教会が、この六本木ルーテル教会が、森ビルの開発に伴って、建物も新しくされていく中で、周りの激的な環境の変化の中に立たされて、教会がどのような宣教をして活動していくのか、地域教会としてどのように立たされていくのかなどの多くの課題を抱えていたのではないかと思います。資金面や建物の形といった外面的な問題だけでなく、この六本木ルーテル教会の教会としてのあり方、その本質といった内面的な様々な課題を、新会堂が完成してからも、共に担い考えながら、歩んできた10年の歴史があり、そしてこれからの教会の歩みがあります。こういう観点からも、まだまだこの教会は開拓伝道の最中にあるとも言えるのかもしれませんが、教会は世にあって、この世と共に共存しつつも、世に属するものではなく、神に属するものであるということ、教会の土台は、真の要石はキリストであります。復活のキリストのみ体であります。その最初の証人たちはあの12弟子、いや12弟子を含む婦人たち、他の弟子たちであります。彼らの下に、復活の主が現れました。Read more