2013年1月27日 顕現節第4主日 「最初の弟子を得る」

ルカによる福音書5章1〜11節
高野 公雄 牧師

イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

ルカによる福音書5章1~11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

先週、私たちは、ルカ福音がイエスさまの活動を故郷のナザレの会堂でのメシア宣言から書き始めたところを読みました。今週は、ガリラヤ湖畔で最初の弟子たちを招く記事です。マタイ福音とマルコ福音によれば、イエスさまの活動はこの弟子たちとの出会いから始まります。弟子が生まれることはイエスさまの宣教が実ったことの表れですし、その弟子たちがイエスさまの活動の最初からの証人となるのです。

《イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。》

ゲネサレト湖とは、ガリラヤ湖のことです。ゲネサレトはこの湖の北西に広がる肥沃な平原を指す地名であり、この地名が湖の名としても使われていました。また、この湖はティベリアス湖とも呼ばれていますが、ティベリアスは湖の南西岸にガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスが築いた首都の名です。わたしたちがもっとも馴染みとしているガリラヤ湖という名は、実はマルコがパレスティナの地理を知らない読者のために考え出した独自の呼び名であって、マルコ福音書以前にはこの名は使われていなかったそうです。

イエスさまはこの湖畔を中心に宣教活動をしました。その様子は、4章に記されています。イエスさまの言葉は力強く、病気を治すこともできました。その噂はまたたく間に広まり、イエスさまが湖畔に現われると、噂を聞いた群衆は神の言葉を聞こうとして押し寄せて来ました。

《イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。》

ガリラヤ湖の漁は夜に行われました。魚は日中は深いところにいて、夜になると湖面近くに上がってくるのだそうです。漁師たちは夜中に漁をし、朝になると岸辺でその網の手入れをします。ヨハネ21章にも、夜が明けたころ、イエスさまは岸に立って、弟子たちが漁から戻るのを待ち受けていた記事があります。

群衆に取り囲まれたイエスさまは、シモンの舟に乗せてもらい、舟の上から岸辺に群がる人々に教えました。しかし、きょうの福音は、教えの内容については語ろうとしません。シモンたちとの出会いがテーマだからです。

《話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。》

ここでは、イエスさまの提案に対するシモンの応答に注目しましょう。シモンはまず、自分たちは漁師としての知識と技術を駆使して夜通し働きましたが、何もとれなかったと訴え、さらに続けて、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。日本語訳では明らかではありませんが、ここで主語が「わたしたち」から「わたし」に替わっていることは大事な点だと思います。英語訳ですと、”But because you say so, I will let down the nets.” とか “Yet if you say so, I will let down the nets.” となっています。収獲の見込みが無かろうが、仲間がどう思おうが、わたしはお言葉に従います、とシモンは自分の決意を述べているのです。シモンのこの率先垂範に仲間たちも立ち上がります。そして、それが奇跡的な大漁につながります。私たちもシモンの振る舞いに見習いたいものです。

常識では、漁は夜、浅瀬でするものですが、イエスさまのお言葉は、日中に沖で漁をせよ、という常識に反するものでした。「沖に漕ぎ出せ」とは、常識的な物の見方、考え方を超えた信仰の世界に歩み入れという招きです。イエスさまは、私たちが行き詰ったとき、神に委ねて生きるよう呼びかけておられるのです。

《そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。》

網が破れそうになった、舟が沈みそうになった、とあるように、この出来事は異常なものでした。イエスさまを信じてご利益を喜ぶというレベルを超える危機的な事態です。シモンたちはそこにイエスさまの神性を垣間見て、畏敬の念に襲われます。イエスさまの足もとにひれ伏して、「わたしは罪深い者なのです」と告白します。これは、自分の犯したあの罪、この罪のことを言っているのではなく、神聖なものを前にした人が抱く深くへりくだった思いを言い表す言葉です。前には「先生」と呼びかけていましたが、いまは「主よ」と呼びかけています。「主」とは、聖書においては、神を指します。これは、シモンがここで早くもイエスさまの神性を予感していることを表わしています。

ここで、シモンがあだ名でペトロと呼ばれる人であることが示されています。《イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた》(ヨハネ1章42)とあります。イエスさまの言葉アラマイ語の「ケファ」をギリシア語に訳すと「ペトロ」になります。彼が「岩」と呼ばれるわけは、《イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。》(マタイ16章15~18)と説明されています。

《すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。》

イエスさまは、ひれ伏すペトロに「恐れることはない」と言われました。これは、単にラビが弟子をとるときの言葉ではありません。イエスさまをとおして語られた神の恵みの言葉です。そしてさらに、イエスさまは「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。「人間をとる漁師」とは、「人間を生け捕りにする者」という意味です。この比喩は、「福音」という網で人間を捕らえ、「神の国」という恵みの生簀(いけす)に招き入れる、ということを意味しているのでしょう。これは、旧約聖書に出てくる漁の比喩と全く逆です。エゼキエル書で神が網を使って漁をするのは、背信の罪を犯している者たちを一網打尽に捕えて裁くためでした。しかし、イエスさまは、人を救う御業の比喩として漁を使っておられます。

イエスさまは、ペトロたちを新しい生き方へ、すなわち「弟子」としてお召しになりました。漁師として魚をとるのは、自分の生活のためでした。けれども、人間をとるということは、自分のためではなく、その人のためにその人をとるということ、つまり「相手」のために生きる、ということです。自分のために生きることから、相手のために生きることへと生き方を変える。イエスさまが私たちに求めているのは、これです。

ペトロたちは、「人間をとる漁師」にと召されて、「すべてを捨ててイエスに従った」と締めくくられています。舟も網も、今までの職業も、家族さえも捨てて、イエスさまに従って行きました。今までどおり、自分にとって快い、都合の良い日常生活を守ったまま、イエスさまに従って行くことはできません。少なくとも「自分のために」という自己中心な生き方を捨てて、「相手のために」という愛の生き方を目指そうというのですから、そのために忍耐したり、時間や労力やお金を献げたり、自己主張や自分の考えを引っ込めて譲ったりすることがあるはずです。「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。私たち一人ひとりも、この人生に召されています。利己心を捨てて、己のタラントを神に献げる心で、この道を歩みたいものです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2013年1月20日 顕現節第3主日 「郷里での説教」

ルカによる福音書4章16〜32節
高野 公雄 牧師

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」

ルカによる福音書4章16~32節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。》

イエスさまが故郷のナザレに戻って、会堂で教えたが、故郷の人々から拒否されたという出来事は、マルコ福音とマタイ福音ではガリラヤ伝道のもっと後の時期に置かれています。それをルカはガリラヤ伝道の最初にもってきています。なぜそうしたのか、ルカの意図はこの箇所の理解にとって大事なポイントですが、まずはナザレの会堂での出来事自体を見ていきましょう。

「いつものように」とあるように、安息日に会堂で教えることが、イエスさまのガリラヤ伝道の基本的な形でした。会堂はガリラヤの村社会における生活の中心でした。とくに安息日には人々は会堂に集まって、ユダヤ教の礼拝を守り、聖書の朗読と解説を聞き、祈りと賛美を献げました。ユダヤ教の会堂では、聖書を朗読し、それについて説教をする者は、男性の信者であれば誰でも許されていたのです。そこで、イエスさまはご自分が御霊によって新しく受けた啓示を伝え始められます。きょうの福音の直前に、荒れ野で試練に遭われたあと、《イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた》(ルカ4章14~15)とあるとおりです。

《預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。》

その日、世話係から手渡された預言書はイザヤ書でした。イエスさまは巻物を開いて、次の預言の言葉を読まれます。ふつうは各安息日に会堂の礼拝で読まれる箇所は決まっています。ルカの引用は、イザヤ書61章の1節と2節の間に58章6の一部をはさみ込んでいます。

《主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。》

この箇所は、「第三イザヤ」と呼ばれる預言者が、バビロンからの帰還し神殿を再建してしばらく経って、なお幻滅しているイスラエルの民を救うために、将来、神からメシヤ(油を注がれた者)が遣わされることを預言した言葉です。神は終わりの日に、主の霊を与えられたメシヤを遣わして、霊的には捕らわれの状態にある人間を解放してくださると語られます。とくに、時代の状況から、将来現れるメシヤの救いの告知が「貧しい人」に向けられるとされていることは、イエスさまの使命にぴったりです。

《イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。》

聖書は立って朗読しますが、朗読箇所を解き明かすときは、座わって行います。イエスさまが席に座られると、「会堂にいるすべての人の目が」イエスさまに注がれます。ナザレの人たちはイエスさまがカファルナウムなどでなされた奇跡について聞いていたので、この同郷の人物に特別の興味と関心を寄せていたことでしょう。

《そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」と話し始められた。》

イエスさまは聖書の言葉の一つ一つについて解説をなさったでしょうが、ルカはその内容を伝えるのではなくて、むしろこの時のイエスさまの講話の核心を、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」という宣言として要約して伝えます。聖書が終わりの日に現れると預言したメシヤ、主から油を注がれた者、主の霊がとどまる方が、いま目の前に立っているという宣言です。これぞイエスさまの福音の画期的な新しさです。マルコ福音も「時は満ち、神の国は近づいた」(1章15)という言葉でイエスさまの宣教を要約していますが、ルカ福音も同じように、ナザレの会堂におけるイエスさまの宣言でもって宣教の核心を述べているのです。

イエスさまは、「ヨベルの年」(レビ記25章10)が無条件に負債者を負債から解放したように、貧しい者が無条件に主の御霊の働きによって苦悩から解放される「恵みの年」の到来を告知されます。引用されているイザヤの預言の最後の節は、「主の恵みの年と神の報復の日を告知する」とありますが、「神の報復の日」を省略しておられます。イエスさまの使命と福音を先取りして、神の終末的な恵みの時の到来を強調するためでしょう。

《皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか」。》

自分たちがよく知っているイエスさまの口から出るこうした大胆な言葉に、ナザレの人々は驚きます。それは、《その言葉には権威があったから》ではありますが、実は、自分たちが「ヨセフの子」として子供の頃からよく知っているイエスさまの口から出ていることに驚いているのです。彼らの思いを見抜いて、彼らが言おうとしていることを、イエスさまの方から言い出されます。

《イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」。そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」》

ナザレの人たちが奇跡を見たいと願っていることを見抜いておられるイエスさまは、その要求を拒否されます。そして、預言者は自分の故郷では受け入れられないことを、イスラエルの歴史の中で代表的な預言者とされているエリヤとエリシャの例を挙げて語られます。エリヤの例は列王記上17章に、エリシャの例は、列王記下5章にあります。どちらも、神から遣わされた預言者が、神から受けた言葉で助けたのは、イスラエルの民ではなく、異邦の女や将軍であったという話しです。このように、「預言者は自分の故郷では歓迎されない」という言葉は、イエスさまの福音がユダヤ人同胞には受け入れられずに拒否され、異邦の人々に向かうという預言として用いられています。マルコとマタイは、イエスさまは故郷の人たちの不信仰のゆえに、ごくわずかの癒ししかできなかったと語ります(マルコ6章1~6)。それに対してルカは、福音がイスラエルではなく異邦人に向かうことを、イエスさまの伝道活動の初めに、イエスさまご自身の宣言として置くのです。

このような内容の記事がガリラヤ伝道の最初に置かれていることの意義は、次の三点にまとめることができるでしょう。

第一に、イエスさまの福音告知の内容を、その活動の最初に綱領として掲げるためと考えられます。聖書が来たるべきメシアについてしている預言がイエスさまにおいて成就したという宣言です。このように、ルカが提示しようとする福音のもっとも基本的な内容を、イエスさまご自身が宣言されたとして、ガリラヤ伝道の最初に置きます。

第二に、ルカは使徒言行録で、イエスさまの福音が同胞のユダヤ人に拒否されて異邦の諸民族に向かう歴史を描いていますが、その理念を、福音書の冒頭で、郷里のナザレでの同郷人の拒否と、イエスさまご自身の宣言という形で提示します。

第三に、イエスさまの宣教活動全体が激しいユダヤ人の敵意の中で行われたことを示すために、イエスさまを石打にしようとした同郷のユダヤ人の行為が最初に置かれたと考えられます。

このように見てくると、ナザレの会堂での出来事を描くルカの記事は、ルカが伝えようとしている福音宣教の基本理念を表わしていることが分かります。ルカはここで、ナザレでのある一日の出来事を描いているというよりも、イエスさまの活動全体の縮図を前もって提示したものです。この出来事には「貧しい人に福音を告げ知らせる」イエスさまの姿と、それを受け入れることのできなかった人々の姿がはっきりと表わされています。イエスさまは《この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した》と宣言されました。それは、この礼拝でこの言葉を聞いている私たちにとっても「今日」のことです。私たちがイエスさまを信じるなら、私たちは「今日」救われるのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2013年1月13日 主の洗礼日主日 「主イエスの洗礼」

ルカによる福音書3章15〜22節
高野 公雄 牧師

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

ルカによる福音書3章15~22節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうは、「主の洗礼」の祝日です。イエスさまがおよそ30歳のころ、洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになったことを記念し、お祝いする日です。この日が最上級の祝日であることは、典礼色が白色(本当は金色)であることで示されていますが、今日、私たちはさほど重要な日という認識をもっていないように思います。しかし、その昔は違いました。実は、この祝日はイエスさまのご降誕が祝われるよりも、もっと古くから祝われていました。きょうはまず、イエスさまが洗礼を受けたことを祝うことにどんな意味があるのか、それを話すことから始めようと思います。

キリスト教もその母胎となったユダヤ教も唯一神教です。神は神、人は人であって、神と人とは隔絶した存在であって、神が人となることも、人が神となることも、とうてい考えられないことです。ですから、イエスさまを信じる者の中には、イエスさまは生まれたときはふつうの人にすぎなかったのだけれど、洗礼のときの「あなたはわたしの愛する子」という神の宣言によって、養子として「神の子」になったと考える人たちがいました。彼らにとって、この「主の洗礼」こそが「顕現」つまりイエスさまが神の子、救い主であることが明らかに示された出来事だったのです。その後、イエスさまの人格についての教理が整ってくると、この養子説は異端とされ、否定されました。そして、「イエスさまは誕生の時から神の子であった」、「神が人イエスさまとなって地上に降り立った」という教理が正しい教えとして確立します。それにともなって、クリスマスが盛大に祝われるようになりました。それ以来、「主の洗礼」は新しい意味づけをもつようになり、今日に至っています。

《民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。》

今日「主の洗礼」を祝う意味は、三つの点にまとめることができます。第一点は、イエスさまの洗礼において、三位一体の神が啓示されたということです。「顕現」を祝うことは昔と変わりませんが、「キリストの顕現」から「三一神の顕現」へと強調点が移ります。「主の洗礼」において、天の声によって「父なる神」が現わされ、鳩のような形で「聖霊なる神」が現わされ、そしてイエスさまによって神の子つまり「子なる神」が現わされたことを祝います。

第二点と第三点は、イエスさまがなぜ洗礼をお受けになられたのかということに関わります。第二点は、神の子であるイエスさまは悔い改めを必要としない身でありながら、自ら洗礼を受けて身を低めることを通して、悔い改めを必要とするすべての人とひとつとなられたということです。イエスさまが洗礼を受けたことは、イエスさまが神の子、救い主としての使命を自覚し、その使命を生き始めたことを祝います。

第三点は、イエスさまが洗礼をお受けになられたのは、洗礼によってイエスさまが清められるためではなくて、イエスさまによって洗礼が清められるためであったいうことです。イエスさまの洗礼は、キリスト教の洗礼の源となりました。私たちはこの洗礼を通して、イエスさまとひとつになることができようになったことを祝います。

ところでイエスさまに洗礼を授けたヨハネは、ヨハネ福音書を書いたとされる使徒ヨハネ、ヨハネの手紙の著者である長老ヨハネ、黙示録の著者ヨハネらと区別するために、洗礼者ヨハネ(またはバプテスマのヨハネ)と呼ばれます。「主の洗礼」の祝いでは、以上で見てきたように、誰がイエスさまに洗礼を授けたかということは大きな意味を持ちません。しかし、伝統的には、教会はイエスさまに洗礼を授けたヨハネに対して、イエスさまの先駆者として、また聖人つまり私たちの模範として、特別な崇敬の念を寄せてきました。

《民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。》

洗礼者ヨハネは、旧約聖書の預言者のような出で立ちでユダの荒れ野に現われて、人々に悔い改めを勧める説教をし、ヨルダン川で洗礼を施していました。彼は人々の人気を得て、もしや彼が待望のメシアではないかと期待されるまでになっていました。しかし、ヨハネは自分の後から「わたしよりも優れた方が来られる」と言って、自分はメシアではなく、イエスさま登場の先駆けにすぎないとはっきりと証しした、というのです。また、ヨハネは「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」とも言います。「霊」は「息」とか「風」をも意味します。聖霊と火による洗礼は、風と火のイメージにつながります。脱穀の道具を使って麦の穂から実ともみ殻を分離させ、それを箕であおって、もみ殻やゴミを吹き払い、実を集めて倉に納め、殻を集めて火で焼く、というものです。悔い改めて洗礼を受ける者は神が救ってくださるが、悔い改めない者はゲヘナ(地獄)の火に焼かれて滅びる、と言っているのでしょう。

ところで、ヨハネもイエスさまも、説教の中心は《悔い改めよ。天の国は近づいた》(マタイ2章2と4章17)というものでした。聖書のいう「悔い改め」とは、私たちのひとつひとつの行いを反省するという倫理を意味するものではありません。私たちの生き方、あり方の全体を神の招きに応えて翻して、神に立ち帰るという宗教的な意味合いの言葉です。私たちの心の向きはそれぞれ自分勝手な方向に向いていますが、その心を翻して、神の方に向き直す、あるいはイエスさまとひとつになって心をつなげるという意味です。それは、「悔い改め」と訳すよりも「回心」と訳すのがふさわしいことかもしれません。

ヨハネ福音1章35以下によると、イエスさまご自身だけでなく、イエスさまの最初の弟子となる二人、アンデレともう一人(おそらくはヨハネ)も洗礼者ヨハネの集団の中にいたのですが、のちにそこからイエスさまの集団は分かれて行きました。使徒言行録によると、洗礼者ヨハネの集団による「水の洗礼」とイエスさまの弟子たちによる「聖霊による洗礼」という理解との間に確執があったようです。《アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。》(使徒言行録19章1~7)

このパウロの言葉にあるように、イエスさまが洗礼を受けて「神の子宣言」を聞いたと同じように、私たちも洗礼を受けてイエスさまの仲間にされるとき、神の子とされるのです。きょうの礼拝の初めの「主日の祈り」で、私たちは声を合わせてこう祈りました。「天の父なる神さま。あなたはヨルダン川でイエス・キリストに聖霊を注いで『わたしの愛する子』と言われました。み名による洗礼によって、あなたの子どもとされた私たちがみ心に従って歩み、永遠の命を受ける者となるようにしてください」と。そしてまた、「主の洗礼」において、イエスさまが神の子の自覚をもって福音宣教の使命に生き始めたように、それを祝う私たちもまた、きょう心を翻して神に立ち帰り、ともに力を合わせてみ国の福音の証人となることができるよう祈りつつ、新しい年の歩みを進めましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2013年1月6日 顕現主日 「賢者の来訪」

マタイによる福音書2章1〜12節
高野 公雄 牧師

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイによる福音書2章1~12節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン


12月25日から12日間の降誕節が終わり、1月6日から顕現節という新しい季節が始まります。「顕現節」とは、イエスさまが世の救い主メシアであると明らかに示されたことを祝う季節です。今週は東の博士たちの礼拝によって、来週はイエスさまが洗礼を受けたときの「これはわたしの愛する子、これに聞け」という天の声によって、メシアであるイエスさまの到来を祝います。今年は1月6日がちょうど日曜日になりましたが、そうでない年には、1月2日以降の最初の日曜日に顕現主日を祝います。

《イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。》

イエスさまがユダヤのベツレヘムでお生まれになったことは、クリスマスにルカ福音ですでに聞きました。ルカ福音では、その誕生は皇帝アウグルトゥスのときのことであったとありましたが、マタイ福音では、それがヘロデ王の時代のことだと言います。このヘロデ王はアウグストゥスに取り入ってパレスチナ一帯の王として取り立てられたヘロデ王家の創始者であって、ふつうヘロデ大王と呼ばれます。権力の座に長くとどまった大変に老獪であるとともに残忍な支配者でありました。この王が33年間統治して紀元前4年に死ぬと、領土は3人の息子に分割されます。イエスさまが活動したガリラヤ地方とヨルダン川の東側のペレア地方はヘロデ・アンティパス(マタイ14章1)が治め、ヘロデ・フィリポ(マタイ14章3)がガリラヤの東のトラコン地方と北のイトラヤ地方を治めました。サマリア・ユダヤ・イドマヤはヘロデ・アルケラオ(マタイ2章22)に配分されましたが、悪政のために流刑に処せられ、以後、ローマから派遣された総督が直轄することになりました。ポンティオ・ピラトは5代目の総督です。

「占星術の学者たち」と訳された言葉の原語はマギ、単数でマゴスです。マギは、メディア(今のイラン)の一部族であり、祭司階級でもあった「マギ」に属する人を指します。彼らは占星術や魔術にすぐれていたと言われ、そのためにマギはマジック(魔術)の語源となりました。しかし、彼らは当時の最高の知識人であり、「博士」とも訳されます。いまでこそ、天文学astronomyと占星術astrologyははっきりと別物ですが、当時は、天体を観察することと、そこから運勢を読み取ることはひとつでした。

《ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。》

まず、星の運行のことですが、当時の記録によると、魚座で木星と土星との接近が観測されています。当時の占星術では、木星は世界の支配者の星、魚座を終末時代のしるし、土星はパレスチナの星と考えられていました。木星が魚座で土星と出会うなら、それは、パレスチナで終末の時代の世界支配者があらわれることを示しています。

また、「ユダヤ人の王」という表現は、メシア王すなわち神によっていつかイスラエルに与えられると約束されていた救い主である王を意味します。東方の博士たちは、メシア王の星が昇るのを観察し、その王に拝謁するためにはるばると旅に出ました。彼らは星の導きによってエルサレムまで来ることができました。メシアは王子として王宮に生まれると思ったのかもしれません。彼らは王宮を訪れましが、そこには尋ねるお方はいませんでした。実は、エルサレムからベツレヘムまでは南にあとわずか7KMの近くまで来ているのですが、そこから先は聖書の専門家に尋ねることが必要でした。

この「星の導き」を比喩として読むことができるでしょう。友人の誘いとか、教会が近くにあるとか、子供がミッションスクールに入ったとか、三浦綾子さんの小説を読んだとか、ホームページを見たとか、星の導きはいろいろの仕方がありうるでしょう。それは私たちをイエスさまの近くまで導いてくれますが、イエスさまと人格的に出会うことは、聖書の説き明かしを通してしか起こりえません。東方の博士たちが彼らの知見だけではイエスさまに会えなかったのは、そのことを示唆します。クリスチャンの人生は、聖書のみ言葉によって導かれる旅路です。迷いや不安の中でで、み言葉を信じて歩むのです。

《これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」》

はたして、聖書の専門家はメシアの誕生の地を知っていました。それは、旧約聖書ミカ書5章1にありました。《エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。》マタイの引用と微妙な異同がありますが、それは代々のクリスチャンが伝承する間に生じたものでしょう。

《そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。》

このヘロデの言葉は下心を秘めたものです。彼はイエスさまを自分の主として仰ぐ気はなく、むしろ自分の身を危うくする敵と見て、これに続く物語では、イエスさまを抹殺しようと、ベツレヘム周辺の二歳以下の男児を皆殺しにするよう命じています。

メシアの誕生ということは、罪と闇の世を救うために神自らが乗り出したことを意味しています。この神の直接介入は、東方の博士たちのように歓迎するとは限りません。ヘロデやエルサレムの住民のように、無視または排除しようとする反応も起こります。神の救いを待ち望んでいたはずのユダヤ人が、いざメシアがお生まれになったと聞いた時、なぜ喜べなかったのでしょう。それは、「あなたはそれで良いのか」と問われ、今の自分が揺さぶられるからだと思います。他者の干渉なしに気ままに自分の生活を形作ろうとするのが私たちの悲しいさがです。神の介入は要らぬお世話であり、不安の種です。マタイは救い主誕生に対する異邦の博士たちと自国の王の対応を対比させて、私たちにイエスさまを迎え入れて、救いの喜びを得なさいと勧めているのです。

《彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。》

博士たちは遠路はるばる旅をして、ついに幼子イエスさまを尋ね当てます。喜びにあふれて、み子の前にひれ伏し、持参した宝物を献げます。献げ物は、身も心も献げるという証しです。博士たちは宝の箱を空にしましたが、もっとすばらしい宝物を、喜びの基をいただいたのです。イエス・キリストによる救いです。それまで、彼らの宝の箱に入っていたのは、財産とか地位とか名誉とか才能とか家族とか健康といったものだったでしょう。それらは、私たちの人生を支える大切なものです。けれども、それらを失ってもなお私たちを支え導いてくれるものがあります。それがイエス・キリストによる救いであり、それが喜びの基です。

そしてそこから、新しい人生の旅が始まります。「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」とあるのは、エルサレムとヘロデ王の城に戻るのではない別の道という地理的な意味だけではありません。神を知らない人生から、神を信じ、神と共に歩む別の人生を歩き始めたことを言うのです。どんなことが起ころうとも、イエスさまが先立って私たちを導いてくださいます。新しい年、新たな歩みを始めましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン