2013年3月3日 四旬節第3主日 「悔い改めか滅びか」

ルカによる福音書13章1〜9節
高野 公雄 牧師

ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

ルカによる福音書13章1~9節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

《ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。》

ピラトは、ローマ帝国皇帝ティベリウスによってユダヤの総督として任命され、派遣されたローマ人貴族で、イエスさまに十字架刑を言い渡したことで、使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、ニケア信条に「ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけられ」と、その名を残しています。ピラトの統治の仕方が残忍であったことは有名で、その統治に抵抗するユダヤ人が殺されることはよくあったのですが、今回のガリラヤ人グループの事件は特別でした。彼らはただ殺されただけではなく、その血が犠牲動物の血とともに祭壇に注がれたというのです。

このような惨事を私たちはどう考えるべきでしょうか。まず第一に、これはピラトの非道を責めるべきでしょう。私たち自身が殺されることだってありえるのです。ところが、人々はかえって、ガリラヤ人たちがそれに値する悪事をしているのに違いない、「自業自得」なのだ、自分たちはそんな目に遭うはずはない、と死者にむち打つことで自分の不安を打ち消そうとします。「自業自得」とは、自分の行いの報いを自分が受けなければならないという意味の言葉です。同じ意味合いで、「因果応報」とも言います。人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあることを言います。しかし、イエスさまは、ガリラヤ人たちが遭遇した災難は、彼らが悪かったからではない、決してそうではない、とはっきりと否定します。

《また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。》

エルサレムはシオンの丘の上に建つ城壁に囲まれた堅固な町ですが、有事に備えて城壁の中まで地下水道で水が引かれました。それがシロアムの池です。シロアムとは城壁内の南東部の地名です。イエスさまがそこで生まれつき目の見えない人を癒した話がヨハネ福音9章に書かれています。シロアムの池の水は、東の城壁の外のキドロンの谷にあるギホンの泉から地下の水道トンネルによって引かれていました。エルサレム住民にとって水は非常に大切なものですから、池には見張りの塔が建っていたようです。その塔が倒れる事故で18人の命が失われました。彼らは水道トンネルの拡張工事をしていたのであろうと言われています。この事件についても、イエスさまは犠牲者の死は彼らの罪深さゆえの自業自得であるという考えに、「決してそうではない」と強く否定しています。

《言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。》

ピラトの事件も、塔の事故も、自己責任という言葉で片付けることはできません。イエスさまは繰り返して、「決してそうではない」と言っています。ヨハネ9章3に、《本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである》とあったように、不幸に見舞われた人が神の恵みに浴することができるように、私たちは福音の証し人として、また良き隣人として奉仕する課題が示されていると受けとめるべきでしょう。

「あなたがたも悔い改めなければ」という文は、犠牲者たちは悔い改め(神への立ち帰り、回心)がなかったから死んだ、だから、あなたがたも悔い改めなければ同じような目に遭うと読んでしまいそうです。しかし、イエスさまはそういう考え方を明確に否定しています。イエスさまはこの文で、犠牲者の罪深さとは関係なく、「あなたがたは悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と、私たち自身の神への立ち帰り、回心を呼びかけているのです。他人の問題ではなく、私たち自身が問題なのです。また、「滅びる」は、個々人の死よりも、もっと大きな滅びを意味していますが、不幸なことに、この預言は実現してしまいます。紀元70年にエルサレム神殿はローマ軍の攻撃によって崩壊し、ユダヤ人国家は消失してしまいました。著者のルカは、このことはユダヤ人が神に立ち帰らなかった、イエスさまを信じなかった罪の結果として起こったことと考えたようです。

このように、イエスさまは悲惨な出来事の報に接して、それを回心の機会としてとらえよ、と人々に回心を呼びかけています。しかし、問題は、悔い改め、回心を促す方法です。イエスさまが証ししている神は、人に罰を下して、それによって回心を促す、あたかもしごきとか体罰によって鍛えるかのような方法はとりません。そうではなくて、イエスさまは、人々の罪をあがなうご自分のわざを通して一人ひとりに対する神の愛、神の信実を人々に示し、その神の愛、神の信実の力によって人々の心がひるがえるのを促す、そういう仕方をとります。きょうの福音の後半は、このことを「実をのならないいちじくの木」のたとえ話によって強調しています。

《そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」》

ぶどうといちじくは、オリーブとデーツ(なつめやしの実)とともにパレスチナ地方の代表的な産物です。ぶどう畑の隅にいちじくの木を植えることはよくあったようです。畑の主人は三年間待っても実をつけないいちじくを切り倒せと園丁に命じます。しかし園丁は「今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません」と答えます。園丁は最後に「もしそれでもだめなら、切り倒してください」と言っていますが、これは文字通りの意味にとる必要はなく、待ってやってほしいという願いの篤さを強調する表現と受け取ってよいと思います。

この園丁の態度は何を意味しているでしょうか。洗礼者ヨハネの説教にも同じ比喩を使った言葉があります。《悔い改めにふさわしい実を結べ。「我々の父はアブラハムだ」などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる》(ルカ3章8~9)。神に立ち帰り、神の子にふさわしい生活を取り戻しなさい、いまが最後のチャンスだと言っているようです。そして悔い改めに導く方法が、イエスさまのたとえでは、園丁が木の周りを掘って肥しをやってみたいという主人にたいする執り成しです。園丁のこの木への奉仕、それはイエスさまの人々に仕える地上の生活、とくにも罪人をあがなう行為としての十字架上の苦難を表わすものです。斧による裁きが実を結ばない私たちの上に降らず、私たちの裁きが免除されるために、良い園丁であるイエスさまはご自分が斧の裁きを受けたのです。実を結ぶように私たちに施される肥しは、イエスさまの御体と御血にほかなりません。《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである》(ヨハネ3章16~17)。

私たち一人ひとりに対するイエスさまの深く大きな愛、それは人間に対する神の信実を表わしています。神さまのこの篤い思いに促されて、私たちは神に立ち帰り、神の子としてふさわしく、神を敬い、隣人に奉仕する生活へと成長させていただけるように、イエスさまの心を私たちのうちに注入してくださるように、神に祈りましょう。

「神よ、私のために・・」と毎週うたう奉献唱の言葉を思い出します。《神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください》(詩編51編12~14)。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

2012年2月26日 四旬節第1主日 「誘惑を受ける」

マルコによる福音書1章12〜13節
説教:高野 公雄 師

それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

マルコによる福音書1章12〜13節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

教会の暦できょうは四旬節第1主日ですが、四旬節という言葉は、40日の期間を意味します。教会の昔からの習わしとして、復活祭前の40日間を、ご復活を祝う準備の期間と定めて、イエス・キリストの死と復活とにふさわしくあずかることができるように祈り、節制し、愛のわざを行うことに努めてきました。

この季節には、具体的には、肉を食べないとか、お酒を飲まないとか、お茶断ちをするとか、観劇を我慢するとかで自分を鍛錬し、聖書を読み、祈り、人に親切にし、寄付をするというように、信仰のわざ、愛のわざに励むのです。教会では、お花や飾りをなるべく省いて、紫の布だけを用い、グロリアやハレルヤを歌うのを慎みます。壁のバナーもはずしました。結婚式やお祝い事も控えます。しかし、きょうは年に一度の私たちの教会の信徒総会の日であることを記念して、聖壇にお花を飾っています。

ところで、四旬節は40日だと言いましても、ご復活を祝う日である日曜日はその数に入れないので、復活祭の46日前から始まることになります。それが今年は、先週の水曜日でした。四旬節の始まりの日は、「灰の水曜日」と名づけられています。そして、きょうは四旬節中の最初の日曜日というわけです。

《それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。》

復活祭の準備期間が40日と決まる根拠になったのが、きょうの福音です。イエスさまが荒れ野で40日の間、悪魔の誘惑を受けられた記事にもとづきます。

ところで、ここに出てきたクオーテーション・マークの付いた“霊”という書き方は、新共同訳聖書で初めて使われるようになりました。従来使っていた口語訳聖書では「御霊」(みたま)と翻訳されていました。聖書には、悪霊、汚れた霊、聖霊という言葉も出てきますが、そういう形容詞が何も付かないでただの「霊」という言葉が出てきます。それが御霊とか“霊”と訳されるのですが、神の霊の力強い働きを指す言葉です。

きょうの福音の前の段落(1章9~11)によりますと、イエスさまは30歳のころ、ユダの荒れ野に出てきて、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けます。そのとき、天が切り裂かれて、鳩が翼を広げて舞い降りるように、“霊”がイエスさまを覆いました。それとともに、《あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者》という神の声が聞こえました。これは、神が霊を注いでイエスさまを「神の子」に、私たちにもっと馴染みやすい言葉を使うならば、「救い主」に任命したことを表わしているのでしょう。

イエスさまを救い主として任命したその同じ神の霊が、今度はその強い力でイエスさまを荒れ野に押し遣り、サタンと対決させる場面をもたらします。神の子であること、救い主となるためには、この世の精神、あり方との闘いが不可欠なことを意味します。

一般にこの場面は「荒れ野の誘惑」と呼ばれており、私もこの説教題を「誘惑を受ける」と付けました。しかし、「悪魔から誘惑を受ける」場面という理解は同じ場面を描いたマタイ4章とルカ4章にはふさわしくとも、マルコ福音のこの場面は、「神から試練を受ける」場面と受け取る方がよりふさわしいようです。

マタイとルカの平行記事と比べて、マルコの記事は非常に短く、断食についても、誘惑または試練の中身についても、サタンとの闘いの結果についても書かれていません。この短い記事が何を語ろうとしているのか理解する手がかりは、「40」という数字と「荒れ野」という場面の二つのキーワードです。この言葉によって聖書の民がすぐに思い出すのは、あの「荒れ野の40年」のことです。

紀元前13世紀のことですが、エジプトで奴隷状態であったイスラエルの民はモーセに導かれて、エジプトを脱出してシナイ半島の荒れ野に到着しました。荒れ野は食べ物も水も乏しく、また野獣も住んでいて、人の命が危険にさらされるところです。その意味で悪霊たちの潜む場所というイメージが付きます。神に信頼して約束の地に向かって進んでいくのか、目の前にある困難に怖じ気づいて、命からがら元の奴隷状態に逃げ帰のか、荒れ野の旅はイスラエルの民にとって試練のときとなりました。荒れ野の旅は、神が民の信頼を試すと同時に、民が神の力を試す、そんな40年でした。ぎりぎりの生活の中で、神は岩から水を出し、天からマナを降らせて民を養いました。また人々は乏しいものを分かち合い、助け合って生活することを学びました。この試練と訓練の旅を経て、約束の地に入ることができたのです。これが「荒れ野の40年」です。

いま、イエスさまは神の子、人々の救い主として、神の霊によって荒れ野の試練に追いやられます。イエスさまはサタンと一対一の対決、力比べの40日間を闘います。

《その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた》。

マタイとルカの記事では、40日間断食して空腹になったあとにサタンから誘惑を受けますけれども、きょうの福音では、この40日間がサタンとの対決のときです。サタンの味方は荒れ野に住む野獣です。イエスさまの味方は神が遣わした天使たちです。天使たちは「仕えていた」とありますが、この言葉は、基本的には「給仕する」という意味を持っています。同じ言葉が、2月5日の礼拝で読んだ1章31節では、シモン・ペトロのしゅうとめは一同を《もてなした》と訳されて出てきます。マルコによれば、イエスさまがサタンと闘っていた40日の間、断食していたのではなく、天使たちが食べ物を運んでいたのです。その昔、神が岩から水を出し、天からマナを降らせて民を養ったのと同じように、今度は天使たちがイエスさまを支えたと述べているのです。

この対決あと、マタイは《そこで、悪魔は離れ去った》、ルカは《悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた》と記しています。一方、マルコは勝敗とか結末のようなことは何も書かず、すぐに、《ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた》(1章14~15)と、イエスさまが伝道を始めたことが続いています。つまり、マルコ福音のこの荒れ野の誘惑の段落は、単なる洗礼後の一つの出来事なのではなく、洗礼に始まって十字架に至るまでのイエスさまの救い主としての公の生涯の総括的序文となっているのです。悪霊追放のわざだけでなく、これから物語られるイエスさまの全活動が、神に逆らう闇の力、悪の力との闘いであって、十字架において罪と死の闇に対して最終的な勝利を収めるものであることを、私たちに伝えているのです。

「荒れ野の40年」が、私たちに示唆することはたくさんあります。私たちの生活が、荒れ野にあるかのように恐れや不安に囲まれていること、神は昔と同じように私たちの生活を守り、恵みを与えてくれていること、しかし私たちはそのことを十分に認識して神に感謝しないこと、また神に信頼しきれないこと、神はそういう私たちに忍耐し、いまもなお見守ってくれていることなどです。そして、私たちに対する、神のこの忍耐と寛容と愛は、きょうの福音が伝えるイエスさまの罪と死と闇の力に対する体を張った闘いの勝利の賜物だということも教えられます。どうか、この四旬節の季節を、この福音にもとづいて、イエスさまを信頼し、世俗的な心を翻して神さまに立ち返る、そういう鍛錬の時として過ごしてください。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年2月19日 変容主日 「イエスの変容」

マルコによる福音書9章2〜9節
高野 公雄 師

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

マルコによる福音書9章2〜9節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

昨日、ブラジルのサンパウロで日系人教会の牧師をしている若い友人が、カーニバルだけど、牧師は土曜日にお祭りに行かれないと嘆いていました。今週の水曜日は灰の水曜日で四旬節が始まります。カーニバルは、もともとは四旬節を迎える準備の行事でした。

きょうの変容主日は、顕現節の最終の日曜日であって、水曜から始まる四旬節への橋渡しをする役割をもっています。つまり、この日曜日を境として、イエスさまが神の子であることを公に示されたことを記念する季節から、イエスさまは私たちを救うわざを成し遂げるために苦難を忍ばなければならなかったことを覚える季節に移るのです。きょう読まれた、イエスさまの山上の変容の記事は、橋渡しの日に読まれるにふさわしく、神の子の栄光と苦難の両方の要素を含んだ出来事です。山の上でのイエスさまの栄光の姿は、イエスさまがのちに受難と死をとおって受けられる栄光の姿が前もって現されたのだと考えることができます。

きょうの福音は、始まりの《六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた》という言葉と、お仕舞の《一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた》という言葉に囲まれています。山の上での出来事は「ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけ」に限定された秘密であることが強調されます。そしてその出来事が終わると「今見たことをだれにも話してはいけない」と、もう一度秘密であることが強調されます。

山の上でいったい何が起こるのでしょうか。

《イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった》。イエスさまの着ていた服が真っ白に輝きました。平行記事であるマタイ17章2によりますと、《イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった》とあり、イエスさまの容貌そのものが変わったとはっきり書かれています。それで、この出来事は、「山上の変貌」または「山上の変容」と呼ばれています。イエスさまの光輝く姿への変容は、どんな意味をもっているのでしょうか。隠されていたイエスさまの正体、本性が明かされるということ、イエスさまは栄光ある神の子、救い主であることが弟子たちに示されたということです。

続いて、次の出来事も、イエスさまの正体を明かします。

《エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた》。平行記事であるルカ福音9章31によれば、《二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた》。エリヤは預言者を代表し、モーセは律法を代表する人物です。「律法と預言者」は旧約聖書の主要部分であり、イエスさまの受難と復活が神さまのご計画であることを示しています。それだけでなく、エリヤはきょうの第一朗読、列王記下2章で聞きましたように、死を経ないで天に上げられた人物です。モーセも、ヨシュア記1章1~2では死んだと言われていますが、申命記34章6に《今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない》と書かれていることをきっかけとして、のちのユダヤ教ではモーセは死なずに天に上ったと信じられるようになりました。栄光に包まれた二人の出現は、イエスさまが天に属する方であることを証しするものです。

モーセとエリヤとイエスさまの三人は、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた」のでした。栄光の神の子であるイエスさまは、人となって地上に降り立と、すべての人を救うために、人の罪をすべて拭い去るために、人の世の闇を追い払うために、すべての人に仕える者として苦難の道を歩かなければならず、愛の極みとしてご自分の命を人に与えます。苦難を通って栄光に至るという人の道を示されたのです。

次の出来事はイエスさまの正体を明らかにすると共に、弟子たちに歩むべき道を教えます。

《すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け》。イスラエルの民が荒れ野を旅する間、雲が神の臨在のシンボルとして民とともにありました(出エジプト40章34~38)。弟子たちを覆う雲は、人の目から神の姿を隠すものであって同時に、神がそこにいることを表わすものです。雲の中からの声とは、もちろん神の声です。「これはわたしの愛する子。これに聞け」。この言葉は、マルコ福音の最初の顕現物語であるイエスさまが洗礼を受けたときに聞こえた天からの声「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」を思い出させます。洗礼の時から「神の愛する子」としての歩みを始めたイエスさまは、これから後は受難の道を歩むことになりますが、その時に再び同じ声が聞こえます。この受難の道も神の愛する子としての道であることが示されるのです。イエスさまの正体が神の愛する子であることが弟子たちに示され、そのイエスさまに弟子たちは聞き従うべきことが命じられているのです。

最後に、この出来事に対する弟子たちの反応が記されていますので、見てみましょう。

《ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである》。ここで、ペトロが仮小屋を建てようと言っているのは、この素晴らし光景が消え失せないように、三人の住まいを作って、天の栄光を地上に繋ぎとめようと願ったからでしょう。しかし、ペトロのこの応答は誤解です。この光景は永続するものではありません。今はまだ栄光のときではなく、受難に向かうときだからです。この出来事で、弟子たち、私たちは、苦難の先にある栄光を垣間見させていただいきました。これに励まされて、この世の生活には苦しみがつきまといますけれど、イエスさまと共にその苦しみを担う覚悟をすべきことを教えているのです。

きょうの福音の初めに「六日の後」と日付が出てきますが、六日前に何があったでしょうか。それは、マルコ8章に書かれている有名なフィリポ・カイサリアにおけるペトロによる《あなたは、メシアです》という信仰告白と、それに続くイエスさまによる《人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている》という最初の受難と復活の予告、そして《わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい》という弟子たちへの勧告の出来事でした。きょうの福音の山上の出来事も、イエスさまが受難と復活の救い主であることを教えると共に、私たちもまたイエスさまのみ足の後に続く覚悟を持ちなさいと勧めているのです。イエスさまがどういう救い主であるかを知ることは、私たち自身の生活の歩み方を知ることでもあるのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年2月12日 顕現節第6主日 「癒しと赦し」

マルコによる福音書2章1〜12節
説教: 高野 公雄 師

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

マルコによる福音書2章1〜12節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった》。

このように、きょうの福音は、イエスさまの一行が付近の町や村にみ言葉を宣べ伝える旅をひとまず終えて、本拠地であるガリラヤ湖畔の町カファルナウムに戻ってきたときのお話しです。たちまちに《家におられることが知れ渡り》ました。これを素直に読めば、イエスさまはカファルナウムにご自分の家を持っておられたように読めますが、シモン・ペトロの家に寄寓していたと考える人もいます。前の頁の1章29以下の記事では、イエスさまがシモン・ペトロの家に行き、そこに泊まったように読めるからです。そのときも、町中の人が戸口に集まり、イエスさまはいろいろな病気をいやし、多くの悪霊を追い出されました。今度もまた家の外までぎっしりと、大勢の人が集まりました。

《イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした》。

イエスさまは集まった人々に神の国も福音を語り伝えます。著者マルコはここで「御言葉を語る」と書いていますが、「御言葉」と「福音」は同じ意味と思って良いでしょう。その内容は1章15に《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》と要約されています。イエスさまが人々に話しているとき、「中風の人」が運んで来られます。「中風」とは、脳出血などの後遺症で半身不随とか手足の麻痺した症状のことです。この病人をなんとか治してもらおうと四人の男は大胆にも屋根に穴を開けて、イエスさまの前につり降ろします。「床(とこ)」とは担架のようなものを考えておけば良いでしょう。

当時の庶民の家は一部屋しかない平屋でした。雨の少ない地方ですので、屋根は板をわたした上に木の枝を並べて泥で塗り固める簡単な作りだったそうです。また、外階段が付いていて屋根に登れる家が多かったそうです。人が群がっていて戸口から入れないので、階段を利用したのでしょう。それにしても、屋根に穴を開けるなんてことは、家主にとっても、部屋の中にいた人たちにとっても、たいへんな迷惑で、これを正当化することはできないでしょう。しかし、きょうの物語はその点は無視して、先に進みます。

《イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた》。

「その人たち」の中に中風の人も含まれていると解釈する人もいますが、ふつうは担架を担った四人の男たちを指すと受けとめられています。中風の人をご自分のところへ連れてきた四人の信仰を見て、イエスさまは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。明治時代以来、日本のキリスト教は個人の信仰的決断が強調されてきました。村の信仰でも家の信仰でもなく、そこから自立して、私個人の信仰を確立することが求められました。親であっても子の信仰を代わって持ってやることはできません。あの四人も病人に代わって信仰をもつことはできません。でも、その信仰は他人との繋がりを持てないわけではありません、その病人の苦しみ・悲しみ・窮状を自分のもののように受けとめ、連帯し、自分の信仰の中に取り込み、それをイエスさまのもとに訴え・願いとしてもたらすことはできるのです。弱者のための「執り成し」は信仰者のなすべき大事な役目です。

ここで彼らの「信仰」とは、イエス・キリストが主であり、救い主であるというような、教義を受け入れる信仰ではありません。イエスさまならばこの病人をきっと治してくれるという固い信頼を意味しています。イエスさまがその力も、そうする好意も持っているお方であると信じているということです。そして、それが彼らの側の一方的な思い込みでなく、イエスさまがその信頼に足る信実なお方であることを、きょうの記事もマルコ福音全体も私たちに伝えようとしているのです。信実なイエスさまと彼に信頼する四人との出会いと結びつき、イエスさまと中風の人との出会いと結びつきは、単発の出来事ではなく、いつの時代の誰にでも開かれた出会いであり結びつきなのです。こういう幸いなる状況、新しい時代をもたらしたのがイエスさまであり、そのことを、《時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい》という御言葉、福音は告げているのです。イエスさまはご自分の言動によって、神と人との関係を近いものにしました。中風の人に対する呼びかけ「子よ」は、この関係の近さ、親しさを表わすものです。

次の言葉は、「あなたの罪は赦される」です。「赦される」という受動形は、神が赦すという意味です。日本語で「赦される」というと、今はまだ赦されていないけれど、将来赦されるであろうという意味にもなりますが、ここでは今すでに「赦されている」という意味です。四人の男たちは病気を治してもらおうと思って中風の人を連れてきたのだろうと思います。中風の人自身にしてもいやしを期待していたでしょう。それなのに、「起き上がりなさい」ではなく「あなたの罪は赦される」と言われて、戸惑ったことでしょう。がっかりしたかもしれません。当時、病気や障がいは罪を犯した罰だと考えられていたから、「いやされる」も「罪が赦される」も同じだと解説する人がいますが、聖書自体はそういう考え方をしていません。ここでは、罪が赦されるという目に見えない現実が、障がいが癒されるという目に見える出来事によって明らかにされる、ということが示されているのです。神はイエスさまを通して、中風の人を親しく「子」として受け入れ、近しい関係を築き、彼に恵みを与えることを望んでおられるのです。

《ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」》。

ここに初めて、イエスさまの言動に異議を唱える「律法学者」と呼ばれる人々が登場します。政治と宗教が一体であった古代社会のことです。彼らは法律の専門家であると同時に、聖書学者であって、庶民の日常生活、宗教生活のリーダーでした。彼らは祭司階級の人たちと共に、イエスさまに対して、そして使徒たちの時代にはイエスさまへの信仰に対して、敵対的な態度をとりました。彼らは、イエスさまの働きによって実現しつつある新しい時代、神との親しい出会いというものを知りませんので、イエスさまの言動を理解できず、ことごとく反対します。そしてついにイエスさまを殉教死、十字架死に追いやるに至ります。その第一歩が今日の論争ということになります。イエスさまは彼らに、癒しの奇跡の中に神が親しく働いていることを、神が人に近づいて恵みを与えてくださることを、自分の目で良く見よ、と言っているかのようです。

《その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。》

1章22にも《人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである》とありました。神はイエスさまの和解のみわざによって、まったく新しい状況をお造りになりました。私たちはきょうの福音から、「地上で罪を赦す権威を持っている」イエスさまに絶対の信頼を置くことができるということを聞き取り、その信頼を自分のものにしたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン