イースター 2014

2014年4月20日 主の復活を喜び祝いました。

2014年4月13日 受難主日 「命の杯」

マタイによる福音書26章36〜46節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

受難主日を迎えました。主イエスの受難の出来事を覚えて、伝統的に教会では、この受難主日に、マタイによる福音書26章―27章という非常に長い主イエスの受難物語が礼拝の中で朗読されてきました。私たちは本日の受難主日からイースターまでの平日の一週間を聖週間として過ごしてまいります。聖週間、それは単に受難と十字架を覚えるということではなく、主イエスの受難と十字架が、私のため、私のために担ってくださった主イエスのお姿を仰ぎ見る期間です。ですから、教会によっては主イエスの受難に思いを向けて、断食や節制に励む人がいます。けれど、これは形の問題ではありません。中身の問題であります。心とか魂というより、「霊的に」、すなわち「霊性」のことではないかと思います。深い沈黙、祈りの中にあって、神様と対話する交わりの時、繋がる時です。喪に服するということではありません。私のための受難とは、十字架とは何か。改めて思いを深め、神様の御心を受け止める特別な時であります。ですから、断食や節制はそこから形となって表れてくるのであって、断食や節制をすることが目的ではないのです。

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2014年4月6日 四旬節第5主日 「死の支配を打ち破って」

ヨハネによる福音書11章17〜53節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

四旬節の第5主日を迎えました。来週は受難主日、そして聖週間、再来週にはいよいよイースターを迎えます。イースター、主イエスの復活が近づいてきたという感じが致しますが、未だ四旬節の只中にある私たちに与えられました御言葉は、ヨハネによる福音書11章のラザロの復活物語であります。大変長い物語ではありますが、ラザロの死と復活を通して、四旬節を過ごす私たちに復活の命がここで示されています。それはまず何よりも、25節で主イエスご自身が「私は命であり、復活である」と、ご自身の栄光を語っていることに強調されています。しかし、改めてこの四旬節を振り返ってみますと、私たちは主イエスの受難と十字架、復活の予告を既に聞いているのです。福音書の中で実に3度も聞いているのです。私たちはよく、その予告を「受難予告」と呼びます。弟子たちがこれら3度の予告を聞いて、動揺し、悲しみを覚えたように、私たちも主イエスの「受難と十字架」だけに思いが向いてしまう。イースターはまだ先なんだから、四旬節を過ごす今の時期は、主イエスの受難と十字架だけに思いを向けなくてはならない。それは確かに大切なことではありますが、今日の御言葉も含めて、この四旬節を歩むというのは、「受難と十字架」を覚えつつも、そこから先がないということではありません。復活を信じるという信仰のプロセスへと向けられているのです。私たちはイースターの日時を既に知っていますが、復活の命を信じる、命に与るということと、受難と十字架を覚えるということは結びついているのです。四旬節を過ごす大切な気づきではないかと思います。Read more

2014年3月30日 四旬節第4主日 「真実の眼」

ヨハネによる福音書9章13〜25節
藤木 智広 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。

春の日差しが心地よくなってまいりました。この礼拝堂の正面の障子を開けますと、麗しい桜並木に思わず目を奪われます。心地よいこの春の日差し、新しい年度の歩みに向けての希望の光であるかのように、私たちを照らしています。

ですが、本日の第2日課エフェソの信徒への手紙5章8節から9節の中で、パウロは光についてこう言うのです。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。」「以前に」と「今は」という状況が語られています。以前は暗闇、闇だった。見えなかったのだ。でも今は違う。今は光となっている、光が見える。それも、その光は「ただあなたがたを照らしている」と言っているのではなく、むしろ「あなたがた自身が光となっている、だから光の子として歩みなさい」とパウロは言うのです。闇から光への転換。ここに主との結びつきがある。私たちは主に結ばれて光とされているということです。私たちが自然に光とされているということではなく、主の御心が、暗闇に輝く光であるキリストとして、このキリストに結ばれることによって、私たち一人一人がキリストの光を反射して生きていると言えるのであります。主に結ばれて、私たち自身が希望の光として、光の子として歩んでいく、新しい年度を歩んでいく。主はそのようにして、私たちを新しい歩みへと遣わされていくのです。Read more