2011年7月17日 聖霊降臨後第5主日 「平和ではなく剣」

マタイによる福音書10章34〜42節
説教:高野 公雄 牧師

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

マタイによる福音書10章34〜42節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音書も、マタイ福音書10章の、12使徒を派遣するにあたってイエスさまが語った長い説教の続きで、その結びの部分です。先週の箇所では、迫害が予告されましたが、この個所も迫害下の宣教という状況を引き継いでいます。

きょうの福音書は、《わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ》という、意想外の言葉から始まります。イエスさまは《平和の君》(イザヤ書9章6)と称えられる方であり、《キリストはわたしたちの平和》(エフェソ2章14)であると信じられる方です。また、ご自身が山上の説教で《平和を実現する人々は、幸いである》(マタイ5章9)と教えられたのですが、きょうの言葉は、それとは反対のことを言っているように見えます。きょうはまず、このことからよく見ていきましょう。

イエスさまは初めに引用した言葉に続けて、《わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない》と話しています。どうやら、イエスさまはキリスト教の伝道活動が、家族間の平和を壊すことにもなるであろうと、家族の平和を問題にしているようです。

イエスさまの預言のとおり、マタイたち使徒の時代から現代にいたるまで、ユダヤ人がクリスチャンになることは家族との別離、ユダヤ人社会からの追放を意味することになりました。

日本でも同じようです。先週は、江本真理牧師の父親である江本正幸牧師の葬儀について報告したとき、彼が長野県の農家の長男であって、家業の跡を継がずに牧師になる決心をしたことで、親から勘当されたということを話しました。私自身は三男でしたからどうなっても構わなかったのですが、それでも熱心に教会に通い始め、日曜日に家族と一緒に行動しなくなると、母から「きみちゃん(私は大学生でしたが、家族からそう呼ばれていました)、家族がばらばらになって良いものなのかねえ」と心配そうに訴えられました。そのことは、洗礼を受けるときにはある意味で出家する腹が必要な大きな決断なのだと悟らされました。私の生家の周りには高野姓の家がたくさんあったのですが、天理教の家がいわば村八分になっていました。また後に、牧師になってから、家族で自分ひとりがクリスチャンである女性が年を取って家族の世話になったとたんに、教会に通うことを禁じられた例を経験しています。

聖書に《あなたの父母を敬え》(出エジプト20章)という戒めがあり、また《あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい》(申命記6章5)という戒めもあります。余程のことがなければ、この二つの戒めは両立するはずです。でも、「イエスさまを信じるのか、肉親を取るのか」と二者択一を迫られる時が来るかもしれない。そのときには、イエスさまを固く取って離さないように願い、勧めておられるのです。でも、《わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない》だなんて、まるでカルト宗教の言い分のようではありませんか。

では、二者択一の矛盾はどうして起きるのでしょうか。それは、イエスさまの教える「愛」が「肉親の情」を超える広さをもっているからです。《「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」》(マタイ12章48~50)。この言葉に示されたような、家族の絆よりももっと大切な真実に目覚めたとき、新しい生き方のもとで本当の意味で家族を愛せるようになるのではないでしょうか。

しかしまた、「平和」という言葉は、肉親という身の回り範囲のことだけでなく、もっと広い国家の問題、またもっと深い個人の魂の問題をも含んでいます。そのことをきょうの旧約聖書の日課(エレミヤ書28章5~9)は示していました。

この箇所には、旧約時代の預言者エレミヤと偽預言者のハナヌヤという人が出てきます。エレミヤは自分で首に木の枷(かせ)をつけた姿でいました。この首の枷は、ユダ王国は強大なバビロニア帝国に降伏して、バビロンに捕虜として引かれていくことを表します(これは「バビロン捕囚」と呼ばれます)。神はユダの人々の背信行為のゆえに災いを降しますが、70年の後にはまた約束の地に帰らせてくださるつもりだ、とエレミヤは言うのでした。反対に、偽預言者ハナヌヤは、70年ではなく2年で自分たちを苦しめているバビロンのネブカデネザルを追い払い、連れて行かれたエホヤキン王と奪われた宝は全部返ってくると言うのです。これはユダの人々が喜ぶ言葉です。この二人の預言のどちらを民衆が信じたでしょうか。もちろん偽預言者ハナヌヤです。

イスラエルの人々は互いに「シャローム」とあいさつを交わします。「あなたに平和があるように」、との祈願と祝福の言葉です。「平和」という言葉は、聖書の基本的な観念のひとつです。それは、単に国と国との間に戦いのないことではありません。神と人との間、人と人との間、人の心の中、人と自然の間に充実した平和・平安をもち、人が人として本来の姿をかちうることなのです。預言者エレミヤは人々の平和を願って、そのためには神に背信したことを認め、悔い改めなければならないと説くのですが、偽の預言者は偽りの平和を預言しています。《彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う》(エレミヤ書6章14)。私たちは人々の歓心を買おうとする偽預言者の言葉に惹かれ、本物の預言者の耳に痛い言葉を遠ざけるのです。《わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ》というイエスさまの真実の言葉に耳を傾けましょう。パウロも、《人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです》(Ⅰテサロニケ5章3)と警告しています。

《平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ》というイエスさまの使徒たちに対する、そして私たちに対するチャレンジはまだ続きます。それは、《また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない》という言葉です。

「十字架」つまり「磔刑」は、ローマ帝国の極刑でして、皇帝への反逆罪に対して課されるものでした。ローマ総督のピラトにとって、イエスさまが「ユダヤ人の王」つまりローマの支配を排除し、ユダヤの独立を図る者であることが罪状でした。イエスさまの左右に十字架に上げられた二人の強盗も、単なる物取りの強盗ではなく、独立運動に献身したゲリラ兵たちでした。「自分の十字架を担う」とは、弟子たちが、このゲリラ兵たちのように身命を賭してイエスさまに従うことを求めておられるのです。

ここで、「命あってのものだね」とばかり、保身に走ろうとする者に対しては、《自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである》と警告しておられます。自分を守ろうとする人、何ものからも自由であろうとする人は、玉ねぎのようにいくら皮をむいても芯に至らず、結局は守ろうとする自分が空であることに気付くことになろう。むしろそういう己を捨てて、イエスさまの福音に献身することによってこそ、本当の自分を見出すであろう。これは警告であると同時に、約束でもあります。

40~42節は結びの結びになります。ここに出てくる「預言者」、「正しい人」、「この小さな者」は、皆イエスさまの弟子のことです。ユダヤ教の思想に「使者は、遣わした者自身である」というのがあります。誰であれイエスさまによって福音宣教のために遣わされた者は、遣わした方自身と見なされます。リベリアの大使であるヤンガーさんは、リベリアという国またはリベリアの大統領を代表する方として受け入れられるのです。《あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである》とは、そういうことです。あなたがたは小さな者、弱い者であってもイエスさまの使者である。だから、あなたがたに《冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける》。別の箇所でイエスさまは、《はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである》(マタイ25章40)とおっしゃっておられますが、イエスさまはあなたたちを、私たちをご自分の代理、いやご自分自身と見なすほどに大切に見ていてくださる。だから、不信仰な世にあって恐れずに宣べ伝えなさい、と私たちを励ましておられるのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年7月3日 聖霊降臨後第3主日 「弟子を派遣する」

マタイによる福音書9章35〜10章15節
説教:高野 公雄 牧師

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

マタイによる福音書9章35〜10章15節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、《イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》という、要約記事から始まります。ところで、これと同じような言葉は4章23にもあって、そこでは《イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた》と書かれています。マタイによる福音書の5章~7章では山上の説教と呼ばれるイエスさまの教えの言葉がまとめて集められており、8章~9章ではイエスさまが行ったさまざまな奇跡や癒しの業がまとめて書かれているのですが、4章の言葉は、これから語られるイエスさまの言行を導入する言葉として置かれており、きょうの9章の言葉は、5章から9章まで語られてきたイエスさまの言葉と業のまとめの言葉として置かれているのです。

イエスさまが町々村々を巡り歩いて、福音を解き明かし、民衆をいやしたのは、《群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》ためでした。群衆が弱り果て、打ちひしがれている様子を《飼い主のいない羊のよう》と言い表していますが、このような比喩は、福音書を書いたマタイの独創ではなくて、旧約聖書の時代の預言者たち以来の伝統的表現なのです。たとえばエゼキエル書34章です。預言者エゼキエルの時代、ユダヤ人は今のイラクに栄えたバビロニア帝国と戦って敗れ、エルサレム神殿は廃墟と化し、バビロン捕囚と呼ばれますが、多くのユダヤ人が帝国の都バビロンに捕虜として引かれていったのです。

《人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない》(エゼキエル34章2~6)。

つまりエゼキエルは、一方で、指導者たちが良い羊飼いではなく、本来なすべき務めを果たさなかったから、このような災いが起きたのだと責めますが、他方で、悲惨な状況におかれて弱り果てている羊の群れ、すなわち民衆を主なる神は憐れんでくださると預言します。

《わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る》(エゼキエル34章23~24)。

神さまが将来良い羊飼いとしてダビデを立ててくださると言うのですが、歴史上のダビデ王自身は預言者エゼキエルよりも300年も前の人です。では、ここで言われている「わが僕ダビデ」とは誰のことでしょう。マタイは、イエスさまが《群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》と書いています。つまり、マタイはイエスさまこそが「わが僕ダビデ」として神から立てられた、イスラエルの待望したメシア、良い羊飼いであると言っているのです。ここに、私たちはイエスさまが旧約聖書のメシア預言を成就されるお方であることを見ておきたいと思います。

《そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」》。

5章~9章でイエスさまの言葉と行いによる福音宣教が描かれた後、10章に移ると、いよいよ弟子たちもまた宣教活動に送り出されることになります。これから、イスラエルの12部族を象徴する12人の弟子を福音を宣べ伝える者として送り出そうとしている場面で、その弟子たちに《働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい》と命じるのは、不自然な感じがしないでもありません。しかしここでマタイは、イエスさまが弟子たちを派遣したという過去の歴史を記録するだけでなく、これを読む自分たちの教会の人々への呼びかけをも意図しているのです。21世紀のいま、日本ルーテル教団だけでなく、世界中の教会が司祭や牧師のなり手が少なくて、牧者のいない教会が増えている実情があります。私たちの教会では、礼拝の終わりに祈る「教会の祈り」の中で、月の第一日曜には必ず「牧師・宣教師を召し出してください」と祈っています。私たち自身がイエスさまの弟子として招かれ、派遣されるにあたって、自分たちの数も力も足りないことを痛感しながらこう祈るのです。イエスさまが目の当たりにしている群衆も、そしてこの教会に集う私たちも、無力で価値がないように見えるかもしれませんが、「飼い主」と「収穫のための働き手」がいれば、豊かないのちを得、大きな実りとなるはずなのです。

《十二使徒の名は次のとおりである》と、ここで初めて「弟子」ではなくて「使徒」という言葉が出て来ました。使徒という言葉は、イエスさまの生前には使われていなかったのですが、初代のキリスト教会の指導者に対して与えられた称号となりました。ギリシア語ではアポストロスですが、特別な使命を委託され、代表者として「派遣された者」とい意味です。イエスさまの十二人の弟子たちのほか、パウロやバルナバまた主の兄弟ヤコブが使徒と呼ばれています。

ここで十二人の名が二人一組で挙げられているのは、《(イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた》(マルコ6章7)ということが背景にあるのでしょう。皆さまもエホバの証人の戸別訪問とかモルモン教会の伝道者たちが二人組で活動しているのに出会ったことがあると思います。十戒の中に《隣人に関して偽証してはならない》(出エジプト20章16)という戒めがありますが、公正を期するために、証人は必ず2人以上でなければならないと定められていました(民数記35章30、申命記19章15)。

《イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい》。

イエスさまご自身が「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(15章24)と言われますから、地上のイエスさまの目は、まず第一にユダヤ人同胞に向けられていました。この限定は、復活後の派遣命令《あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい》(28章19)で取り払われます。マタイは救いの段階を考えていました。福音はまずイスラエルに宣べ伝えられるけれども、彼らはイエスさまを否定する。そのあとで異邦人への宣教が開始されるとしています。8章11~12にこうあります。《言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう》。

神の憐れみは、それを心から受け入れる器を求めて、ユダヤの村から遠く地の果てまで歩き回っています。教会は自分たちのためにではなく、全世界のためにあるのです。「失われた羊」は群れから離れ、孤立してしまっている人と言ってもいいでしょう。わたしたちのごく身近にも「失われた羊」がいるのではないでしょうか。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年6月26日 聖霊降臨後第2主日 「神の憐れみ」

マタイによる福音書9章9〜13節
説教:高野 公雄 牧師

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

マタイによる福音書9章9〜13節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

聖霊降臨後の季節を迎え、きょうから聖卓の掛布も牧師のストラも緑色に変わりました。この緑の季節はきょうから11月の第3日曜まで丸5か月の間続きますが、この季節に、私たちは、イエスさまの言行、話された言葉や行われた業を通して、信仰と生活のあり方について学んでいくことになります。この季節の典礼色・緑は、教会と個々の信徒の「成長」を促す季節であること表すと共に、神にあって与えられる「希望」を表わしています。

本日与えられている福音は、マタイ9章9節から13節までですが、これから、この記事が私たちにとってどのような意味があるか、ご一緒に考えていきたいと思います。

マタイ福音9章ではまず、イエスさまが住んでおられた町、カファルナウムに戻られて後に、中風の人をいやすという出来事が語られます。そしてきょうの9節からの段落は、そこからふたたび旅立とうとした時に、《マタイという人が収税所に座っているのを見かけ》たことから始まります。徴税人マタイの出来事は、中風の人のいやしと同じく、そしてペトロやヨハネたちの召命のときと同じく、彼がまだ何も行動していないうちに、まずイエスさまがマタイに目を留め、マタイを招かれました。《私に従いなさい》。すると、マタイは立ち上がって、すぐにイエスさまに従ったということです。

マルコ福音2章13~17では、この徴税人はアルファイの子レビ、ルカ福音5章27~32では、ただレビとなっています。名前がふたつあったのでしょうか。マタイ10章3節では、十二弟子のなかに、《徴税人のマタイ》と出てきます。伝統的には、十二弟子の一人であるこのマタイが著者であると考えられて、マタイによる福音書は、その名が冠されています。

《収税所》というのは、主な街道に設けられていて、そこを通る人からローマ帝国の通行税を徴収する場でした。そこで収税業務を行う人が《徴税人》です。徴税人は直接にローマ帝国に雇われていたわけではなく、収税所で徴税する権利を買い取ったユダヤ人の「徴税人の頭」に雇われたのです。「徴税人の頭」の中には、ルカ19章のザアカイのように金持ちになった人もいたようですが、彼らに雇われた「徴税人」は、人々から徴収する通行税に自分の手数料を上乗せして収入を得る下積み労働者でした。ほかの仕事が見つからないから仕方なしにする仕事です。彼らは、一般に「不正な取立て」をしていると考えられていましたが、徴税人が「罪人(つみびと)」の代表のように言われる理由はそれだけではありません。神の国であるはずのイスラエルにローマ帝国が税を課すこと自体が神に反することであり、そのローマ帝国の徴税に加担していることが罪深いことだと見なされていたのです。彼らは、ユダヤ民族に対する裏切り者として同胞から嫌悪されていました。

このように見てくると、《わたしに従ってきなさい》というイエスさまの呼びかけが、マタイにとってどれほど大きな喜びであったかを感じるとることができるでしょう。「こんな私でも呼んでくださる」。イエスさまに招かれたことは、彼にとって重荷や負担ではなく、自分の存在に意味を見いだす大きな恵みの体験だったはずです。マタイはイエスさまへの感謝の思いから食事に招いたのでしょう。そこに《徴税人や罪人も大勢やって来》ます。

《ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と》非難します。イエスさまを非難してこういう見方をするファリサイ派とは、当時のユダヤ教の一派で、律法を細かく解釈し、厳格に守ろうとしていた人々でした。律法に熱心な彼らからすれば「律法を学びもせず、守ることもしていない人」は皆、「罪人」の部類に属しました。

さて、イエスさまはなぜ、罪人のレッテルを貼られている人たちと一緒に食事をするというような、当時のエリートたちの批判を招くような行動をとったのでしょうか。それが、きょうの福音のポイントです。

「一緒に食事をする」ということは、人々の絆を生み出し、その絆を確かめ合うという重要な意味を持っています。ユダヤ人にとって一緒に食事をすることは、さらに特別な意味を持っていました。地上で人間同士が共にする会食は、神のもとでの祝いの宴の先取りだと考えられました。地上で共に食事をする共同体は「神に救われる者の共同体」を表していたのです。ですから、ファリサイ派のような熱心なユダヤ人は決して罪人というレッテルを貼られた人とは食事をせず、イエスさまの行動につまずきます。マタイ11章19で、イエスさまは《見ろ、大食漢で大酒のみだ。徴税人や罪人の仲間だ》とまで言われています。

一方のイエスさまは、だからこそ、罪人と一緒に食事をしたのです。非難に対して、まず、このように答えます。《医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である》。イエスさまは「罪人」を「病人」にたとえます。「罪人は救われないダメな人間だ」と見るのではなく、「罪人こそ、救いといやしを必要としている人だ」という見方です。ですから、付け加えて、こうも言います。《わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである》。「正しい人」とは、「自分は律法に忠実に生きていて、神の前に落ち度がない、当然救いにあずかれる人間だ」と自負している人、「罪人」とは、神からも人からも断ち切られ、救いにあずかる資格はないと感じている人のことでしょう。神はそういう人をも祝宴に招待したいのです。

ところで、イエスさまの二つの格言のような言葉にはさまった13節前半の《わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない》という言葉は、先ほど読んでいただいた本日の旧約聖書の日課、ホセア書6章6からの引用です。新共同訳ではこうなっています。《わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない》。このように、旧約聖書そのものと新約聖書のおける旧約聖書の引用は、しばしば一致しません。それは、新約聖書が書かれた時代の人々は、ヘブライ語で書かれた原語の聖書ではなく、当時の世界共通語であったギリシア語に翻訳された旧約聖書を用いていたために、言葉に多少のずれが生じているのです。

さて、本題に戻ります。イエスさまは、後に18章10~14で、神にとって「イスラエルの家の失われた羊」がいかに大事かを、「迷い出た羊」のたとえで語っています。羊飼いは迷子になった一匹を救い出すために、九十九匹を野に残して捜し回ります。このたとえは、《そのように、これらの小さい者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない》と締めくくられます。私たちの天の《父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる》方なのです(5章45)。
ルカ福音書でも15章で、罪人との食事の意味を三つのたとえで説明しています。マタイ18章と同じ「見失った羊」のたとえと、「無くした銀貨」のたとえと、ご存じの「放蕩息子」のたとえです。良い羊飼いであるイエスさまは、忠実な残りの者だけではなく、群れ全体のことを配慮してくださるのです。
イエスさまは神の憐れみを言葉で表現するだけでなく、行動でもって実演して見せました。それによって、すべての人々に神の愛を告げたのです。聖書は、永遠の神のみことばです。みことばを読みましょう。書かれた文字の背後から、神は、そしてイエスさまは、あなたに直接に語りかけてきます。そのとき、時間空間を越えて活けるイエスさまがあなたの味方として、あなたと共にいることを実感するでしょう。いま、私たちもまた、罪人を招かれたこのイエスさまの招きを、自分に向けられた招きとして、喜んで受け入れたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2011年6月19日 三位一体主日 「三位一体の神」

マタイによる福音書28章16〜20節
説教:高野 公雄 牧師

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

マタイによる福音書28章16〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうは三位一体の主日という特別な祝日です。どういう意味で特別かと言いますと、教会の暦はイエスさまの生涯における特定の出来事を記念し、お祝いするようにできています。私たちはきょうまで半年間、メシア到来の予告、イエスさまの誕生、命名、東方の博士たちの来訪、ヨルダン川での洗礼、受難の予告と十字架上の死、復活、昇天、聖霊降臨と暦をたどってきました。その歩みも終わりまして、きょうはイエスさまの特定の出来事ではなく、イエスさまの生涯、死と復活、そして聖霊降臨を祝ったあと、これらすべての出来事を振り返ってみて、父と子と聖霊なる神さまの働き全体を顧みて、いったい神さまはどういうお方なのか、三位一体の神であられるということを覚え、祝います。

ふつう、私たちはまずは、イエスさまは昔の預言者のように人々に「神に立ち帰れ」と宣べ伝える人だと思って聖書を読んでいます。しかし、イエスさまの言行を通して神を知るほどに、そのイエスさまと神とが一体であることに気づいてきます。つまり、神ご自身が人となってこの地上に降り立ってくださった、イエスさまとはそういう方なのだと信じるようになります。これが、キリスト教信仰の始まりです。では、イエスさまが私たちの視界から消えたあと、どうなったかと言うと、神の霊、復活したイエスさまの霊が、私たちひとりひとりの上に降り、聖書に書かれたイエスさまの言葉を、私自身に語りかけてくる、いま生きている言葉として聞けるように心の耳を開き、またイエスさまがいつも私と歩みを共にしてくださっていることに心の目を開かれるのです。神さまは、イエス・キリストを通してだけでなく、聖霊を通してもまた、私たちを守り導いてくださる、このことを記念し祝うのが、きょうの三位一体の祝日なのです。

聖書には、「三位一体」という言葉こそありませんが、第二朗読Ⅱコリント13章13には《主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように》とあり、きょうの福音マタイ28章19以下には《彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい》とあるように、神が三位一体であることを表す表現は存在します。そう考えると、きょうの第一朗読イザヤ6章3に《聖なる、聖なる、聖なる万軍の主》と、「聖なる」が三重に唱えられているのも三位一体を暗示している表現と受けとめることができるように思います。

二千年前に地上で30数年を過ごされた歴史上のイエスさまが、いまや神の座に着いている天上のキリストとして信仰の対象となっている、それがキリスト教です。イエス・キリストと日本語ではイエスとキリストが中黒「・」で結ばれているのですが、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」がどのように結ばれて一つであるのか、これはキリスト教の歴史が始まって以来の難問でして、今に至るまで盛んに論じられていますが、いまだに論じ尽くされることがありません。それは、牧師になろうとしていた私にとっても一番納得しにくい、理解できないポイントでしたので、神学校の卒業論文のテーマに選んで勉強しました。論文は中間報告としか言えないような代物でしたが、その当時自分なりに納得したことをまとめました。

イエスさまの直弟子たちによってキリスト教伝道は始まりましたが、しばらくはローマ帝国に信仰を禁じられた迫害の時代が続きます。しかし、その間もキリスト教はじわじわと浸透し続け、ついに313年に皇帝コンスタンチヌスは「ミラノの勅令」によってキリスト教を公認します。その後、彼はローマ帝国の広大な全領土を統一すると、あまりにもばらばらなキリスト教を統一することを目指して、325年にニケア、今のトルコのイスタンブールの近くに帝国内のキリスト教指導者を集めて会議を開きます。318人の司教が集まったと伝えられています。

このニケア公会議では、復活祭の日取りを決めたり、迫害時代に一度棄教した者の復帰のさせ方を決めたりしましたが、イエスさまの身分を確定することも大きな議題でした。当時、キリスト教は公認されたばかりでしたが、イエスさまの身分については、父なる神よりも一段低いという主張が広まっていたのです。それに対して、この会議は、神は三位一体であることを定義する「ニケア信条」を採択しました。私たちが聖餐礼拝を行なうときに唱えているニケア信条は正しくはニケア・コンスタンチノポリス信条というものであって、ニケア公会議の定めた信条に後の会議が加筆したものです。それはともかく、ニケア信条では、イエス・キリストは「神の神」であって「父と同質」であると定められました。これを受け入れる者が正しい信仰を持つ者であり、これを受け入れない者は異端として信仰者の群れから排除されることになりました。

公式的には、この定めはいまでも有効です。皆さまはキリスト教のパンフレットなどで、欄外にこう但し書きがあるのを目にしたことがあると思います。「私たちは正統的な教会であって、ものみの塔、モルモン教、統一協会とはまった関係ありません」。この文章は、ここに名を挙げた宗教はニケア信条の定める信仰箇条を受け入れていない、したがって正統的なキリスト教ではない、ということを宣言しているのです。

キリスト教は、ルーテル教会の他にも、カトリック教会、聖公会、日本基督教団、バプテスト教会などなど、いろいろな教派に分かれています。けれども、これらの教派は、三位一体の神を信じるという一番大事な点では一致しており、先ほど名が挙がったようなキリスト教系の新興宗教とは信じる中身に大きな違いがあります。

イエス・キリストの身分については、キリスト教の歴史を通じて、たえずニケア信条とは異なった理解が現われ、繰り返し分派活動が起こります。それで、キリスト教会は昔から礼拝式文の中に三位一体の教えを組み込み、礼拝するたびに繰り返し唱えることによって、礼拝する者の頭にも心にもこの理解が定着するように式文を整えてきました。あまりに身近すぎてふだんは気づかずに素通りしているかも知れませんので、きょうはご一緒に式文を検証してみましょう。

まず、礼拝は「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」という祝福の言葉でもって始まります。そして2頁、讃美唱は必ずグロリア・パトリを付けて唱えます。「父、み子、み霊にみ栄え、初めも今も後も、世々に絶えず。アーメン」。3頁、グロリア・イン・エクセルシスの第8段「主(キリスト)は、聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに(います)。アーメン」。同じ頁の特別の祈りの結び「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」。ただし、これは緑の季節には「み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」という短い形を使うこともできます。続いて、5頁の信仰告白、ニケア信条でも使徒信条でも「全能の父である神を私は信じます」、「主イエス・キリストを私は信じます」、「聖霊を私は信じます」と唱えます。

後半、聖餐の部に入りまして、9頁、設定の言葉の後半「感謝の祈り」も「すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。アーメン」という頌栄で結ばれています。そして礼拝の最後、14頁の祝福は礼拝の初めと同じ言葉「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン、アーメン、アーメン」で終わります。

これで、礼拝式全体が三位一体の神さまをほめ称える言葉で満ちていることが確認できたと思います。しかし、きょうはまだこれで終わりではありません。西方の教会では伝統的に、この日にはニケア信条や使徒信条に代わって、年に一回「アタナシウス信条」を唱える習慣があります。私たちもきょうはこの後、「アタナシウス信条」を交読形式で唱えましょう。この信条は、西方教会などで広く採用され、使徒信条、ニケア信条とともに基本的な信条とされています。前半で神の三位一体を述べ、後半ではキリストの「神であり人である」という二性を述べているその内容から、ニケア公会議で三位一体の信仰を守るのに功績のあったアレクサンドリアの司教、聖アタナシウスの名が冠されていますが、本当の著者は不明です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン