2012年9月16日 聖霊降臨後第16主日 「ろうあ者をいやす」

マルコによる福音書7章31〜37節
高野 公雄 牧師

それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
マルコによる福音書7章31~37節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた》。

先週はイエスさまがガリラヤ地方を去り、地中海に面した外国の港町ティルスに行き、悪霊に取りつかれた娘の母親と交わした会話を聞きました。その後、イエスさまは、ガリラヤ地方を取り巻く外国を巡り歩いたようです。シドンはティルスよりもさらに北にある港町です。デカポリス地方とは、ヨルダン川の東側にアレクサンダー大王とその将軍たちが植民地として建てた10の町のことで、やはりユダヤ人にとっては外国です。きょうの話は、イエスさまがガリラヤ湖周辺に戻ってきたときの出来事です。これが、湖の東側の外国での話なのか、湖の西側のガリラヤ地方での話なのかは不明です。

《人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。》

教会に目の不自由な人が来ることはありますが、私は耳の不自由な人を教会で見たことはありません。目の見えないことはずいぶん不自由だろうと思いますが、言葉が通じますから交流をし易いです。けれども、耳が不自由な人とは言葉による意思の疎通ができないので、交流がとても難しいです。耳の不自由な本人とそれを支えようとする人々は困り果てて、イエスさまのもとへ連れてきたのでしょう。イエスさまの救いを求めている人がイエスさまと出会うためには、仲介する人が必要であり、それが私たちに託された役割です。

また、齢をとると聞こえる音の範囲が狭くなりますので、交流が難しくなり孤独感を深めることを、私たちは心に留めていましょう。

《そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた》。

イエスさまを取り巻く群衆の雑踏からその人を連れ出したのは、何が起こっているのか分からず、恐れているその人を安心させたことでしょう。それと共に、イエスさまの、この人と向き合う真摯な心を現わしていると思います。「ローア者と話すときは、ローア者が口の動きから読みとれるように、正面に向き合ってはっきりとゆっくり話しなさい」。私は若いころ、聾学校の先生からそう教えられたことを思い出します。

きょうの物語で珍しいのがこの節の後半の記述です。「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた」と読むと、迷信的で、気恥ずかしく思います。この物語を、マタイ福音もルカ福音も省いたのは、イエスさまがまじない師のように誤解されるのを避けるためだったかもしれません。イエスさまのこのような所作が記されているのは、四つの福音書全体で、この一個所だけです。当時大勢いたと言われる病気治療師、まじない師とイエスさまとの違いは、イエスさまがここに書かれたような所作をしないで、単純に人に分かる普通の言葉で、「見えるようになりなさい」とか「立って歩きなさい」とかと、力強く言うことによって癒したことです。

しかし、実は、イエスさまのこの行為は気恥ずかしいことでも不名誉なことでもありません。これは、「適応(accommodation)」、つまり当時の人々の必要性に見合うように自分を順応ないし適合させてくださる、イエスさまの人々に対する愛の表れなのです。当時の人々は、言葉の力によるのでなく、頭に手を置くとか衣の裾に触るとか身体接触(スキンシップ)によって癒しの力が伝わると信じていたのです。イエスさまはそういう人々の思いを馬鹿にせず、愛をもって人々の思いにご自分を合わせてくださったのです。それが、神が人となって、人に分かる言葉と振舞いで、神の人に対する信実を表わしたということの意味なのです。

《そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である》。

「深く息をつく」とは深呼吸のことではなく、「深いため息を吐く」とか「うめき声を上げる」という意味です。その人のことを深く憐れんで、イエスさまは全身全霊を挙げて神に執し成しました。

そして「エッファタ」と言われました。これは、イエスさまが話していた言葉「アラマイ語(アラム語とも言う)」で「開け」という意味だとマルコは書いています。マルコはこれによって、「エッファタ」という力ある言葉がとても印象深かったことと、それが呪文のようなものではなく、普通の日常の言葉であったことを示します。

《すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった》。

イエスさまの「エッファタ(開け)」という言葉の力を受けて、その人はたちまち話せるようになりました。耳が聞こえないと自分の話す言葉を聞いて話し方を発達させることができないので、言葉によるコミュニケーションができなくなってしまいます。補聴器などで聞こえるようになると、自分の声を聞くことができるので、言葉をはっきりと話せるようになり、コミュニケーションできるようになります。

あるお医者さんによると、新たに言葉を得ることは時間を要することなので、すぐに話せるようになったということは、すでに話せる言葉を持っていたことになり、こに人はローア者ではなく、精神的に一時的に難聴とか失語症にかかった人であり、イエスさまは精神的な治療をしたのだということになります。この出来事を合理的にそう解釈しても良いし、素直にイエスさまが奇跡に直したのだと受けとめても良いと思います。

《イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた》。

こういうイエスさまの口止めは、治癒奇跡の後にたびたび書かれています。寝食を忘れて人々を教え導き、病者を癒す姿はすでにイエスさまが、世の終わりに現われるメシア(キリスト、救世主)であることを表わしています。しかし、それだけでは、イエスさまは当時大勢いた奇跡行為者の一人にすぎないことにもなります。この口止めは、イエスさまが本当のメシアである所以(ゆえん)は、十字架における贖罪死と復活を待って、初めて十全に明らかにされることを表わしています。

《しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」》。

人々のこの言葉は、きょうの旧約の日課に呼応しています。

《心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う》(イザヤ35章4~6b)。

この呼応は、この物語が単に一人のローア者の治癒を語るのではなく、イエスさまこそが旧約聖書が預言していたメシアであり、すでに新しい時代が始まっていることを示しています。こう理解すると、この物語がひとりのローア者の治癒について語りつつ、人間は他者の話しを聞く耳を持たず、他者を愛し支える言葉を持たない罪人であり、イエスさまが救いへの道を切り開くという普遍的な真実を語っていることが分かります。

現代人は理性を働かせれば、物事を公平に判断して、正しく振舞うことができる。だから、宗教など要らないと思っています。しかし、自分の視点から見えることは物事の一部分に過ぎません。しかも、好きか嫌いか損か得かという自分中心の見方から逃れられません。人はこの限界を持っています。人は宗教に出会うことによって、小さな自分を自覚し、それを克服するより普遍的な視点を与えられるのです。

「群盲象を撫でる」というインドの寓話を聞いたことがありますか。いろいろな変種がありますが、おおよその話はこうです。六人の盲人が、ゾウに触れることで、それが何だと思うか問われます。足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。それを聞いた王は答えた。「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」と。

この寓話は、元来は、人々が仏の真理をなかなか正しく知りえないことをいったものですが、イエスさまの言行をとおして本当の愛を知り、独り善がりに陥っている自分を自覚して、他者とともに生きるより広い道に導かれる必要を説く話しとしても聞くことができると思います。

きょうの福音を聞いて、私たちもまた、イエスさまについて「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と賛美と感謝をもって称えたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年9月9日 聖霊降臨後第15主日 「諦めない祈り」

マルコによる福音書7章24〜30節
高野 公雄 牧師
イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
マルコによる福音書7章24~30節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった》。

イエスさまはこれまでご自分の育ったガリラヤ地方で活動していましたが、そこを立ち去って、北西の国境を越えてフェニキア(今のレバノン)の港町ティルスに行かれました。この町は口語訳ではツロと表記されていましたが、新共同訳ではティルスと表記が代わりました。しかし、一般にはテュロスという音訳が普及しています。

テュロスは、今はただのさびれた漁村にすぎませんが、大昔から栄えていた港湾都市でして、繫栄していた当時の遺跡が残っており、ユネスコの世界文化遺産として登録されています。テュロスは、もとは陸地から約1キロ離れた島でした。前332年にアレクサンダー大王が遠征したとき、島全体を要塞化したテュロスは激しく抵抗して攻めきれませんでした。それで、アレクサンダー大王は7か月かけて堤防を築いて埋め立てをして、陸続きにした上でやっと攻略できた、そういう歴史がある町です。

イエスさまがわざわざここまで来る動機については何も分かりませんが、積極的に異邦人伝道をするつもりではなかったようです。しかし、この外国の町でも、人に知られずにいることはできませんでした。

《汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ》。

ここに登場する女性が異邦人であることは明らかですが、なぜか詳しく書き込まれています。「シリア・フェニキアの生まれ」とあります。ジャパニーズ・アメリカン(日系アメリカ人)という言い方と同じで、彼女は血筋から言うと隣りのシリア人ですが、フェニキア(今のレバノン)に暮らしている人です。さらに生活スタイルで言うとギリシア人だと紹介されています。これは血筋や国籍を言うのではなく、彼女は、当時の世界の共通語であったギリシア語を母語とするコスモポリタンである、という意味です。イエスさまの当時、ローマ帝国が地中海を取り囲む広い世界を支配しており、「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」と呼ばれますが、広い世界が平和に治まり、人々の往来が盛んになり、ギリシア風の生活スタイル(これは、一般にはヘレニズム文化と呼ばれています)が世界に深く浸透していたのです。イエスさまの弟子のアンデレとフィリポは、ユダヤ人ですがギリシア風の名前を持っています。

この女性は母親であって、娘は重い病気にかかっていたのでしょう。汚れた霊(悪霊と同じ意味)に取りつかれていました。こういう表現は私たちにとって受け入れにくいのですが、当時のヘレニズム文化と現代の文化では世界観が違うのは仕方ありません。現代人は、この世界は自然法則によって動いていると考えますが、昔は世の中は人間を超えた霊的な存在によって支配されていると考えられていました。神や天使の軍勢と悪魔と悪霊の軍勢が、人を支配しようとせめぎ合っているのです。日本でも、昔は人に災いをもたらす霊的な力を疫病神とか貧乏神とか名付けていましたが、それと同じ感覚です。イエスさまは悪霊を追い出すことができると信じられていました。イエスさまがこの町にお出でになったのは、母親にとって千載一遇のチャンスです。今の機会を逃したら、もう次はありません。全身を投げ出して、必死にイエスさまに懇願します。

《イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」》。

イエスさまの最初の応答は、拒否でした。この比喩で、子供はユダヤ人を、子犬は異邦人を、そしてパンは神の救いを表わしています。この応答は、「パンは子供たちの分しかないので、子犬に与えると子供たちに十分に与えることができなくなる」という意味ではありません。端的に「このパンはユダヤ人たちのためのものだ」と言っているのです。イエスさまはこのユダヤ教の考え方を全面的に受け入れていたわけではありませんが、自ら異邦人伝道に乗り出す気もなかったためでしょう。まずはこう答えて、母親の反応を注視します。

《ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」》。

イエスさまの言葉を聞いても、母親は諦めません。ここは、翻訳の問題があります。「しかし」は、カイという言葉を訳したものらしいのですが、カイは英語のandに相当する言葉であって、butの意味はありません。そして、このカイは「小犬も」の「も」として訳出されています。つまり、原文には「しかし」と訳せる言葉はありません。

母親は「しかし」と言って、イエスさまに反論しているのではないのです。イエスさまの言うとおり、パンは子供たちのためのものです、自分はあのパンをもらう権利があると主張できるような者ではありません。そう受け入れた上で、子供が十分にパンをもらうからこそ、子犬もそのおこぼれに、おなさけにあずかることができます。母親はそう訴えます。神さまの恵み、憐れみは、そのようにこぼれ落ち、溢れ出るものではないでしょうか。神さまは、弱い者・小さい者・片隅の者・悩む者・悲しむ者に対して信実である。イエスさまの言行はそのことを私たちに現してくださるのではないでしょうか。そうです。イエスさまをとおして現わされた神は、病に苦しむ娘をもった母親の願いに応えることができないはずはありません。

《そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた》。

イエスさまの言葉を直訳すると、「その言葉のゆえに、行きなさい」です。口語訳は「その言葉で、じゅうぶんである」と意訳しています。イエスさまの言葉は、母親の応答を「わが意を得たり」と高く評価しているのです。新共同訳の「それほど言うなら、よろしい」は意訳のし過ぎで、それだと、イエスさまはしぶしぶ彼女の願いに応えたようなニュアンスとなりかねません。マタイ福音書では、イエスさまが《婦人よ、あなたの信仰は立派だ》(15章28)と称賛されたと記されています。

《女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた》。

イエスさまは、遠く離れたところから娘に取りついた悪霊を追い出しました。この奇跡そのものは、強調されることなく、静かに進行しました。悪霊は出てゆく際に娘に対して最後の悪さをしました。それで、娘は疲れ切ってぐったり横たわっていますが、もう大丈夫です。

以上、「シリア・フェニキアの女」の物語を読んできましたが、最後に、この母親の信仰から私たちが学ぶべきことを3点、確認しておきましょう。

まず1点目。この話しは、後に弟子たちが外国に出ていって伝道することに道を開くものでした。神の救いは、人種や国の壁を乗り越えます。ペトロも外国人伝道のきっかけとなった港町カイサリアの百人隊長コルネリウスの家で《神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました》(使徒言行録10章34)と言っています。

2点目は、この母親の謙遜さです。私たちは祈るとき、まるで神が「アラジンと魔法のランプ」のランプの魔人であるかのように思いなし、神が即座に願いをかなえてくれることを期待します。そして、祈りが聞かれないと、神は無力だと毒づいたりします。しかし、神は私たちの召使ではなくて、主人です。私たちはあくまでもイエス・キリストのあがないと執り成しをとおして神の恵みと憐れみに依り頼むのです。

3点目。この母親の大胆さです。彼女はただ病気の娘のために必死だったのではありません。神が強い者の神であるよりもむしろ弱い者の神であり、それゆえにこそすべての者から神として崇められるお方であると信じ、その神に訴えます。イエス・キリストの救いなしには朽ち果てるほかない身の願いであるにもかかわらず、否、それゆえにこそ、神は必ず聞き届けてくださるという、恵みの神に対する確信です。母親の祈りの基は、この神の恵みに対する篤い信頼です。私たちもこの神さまへの信頼をもって、家に帰りたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

2012年9月2日 聖霊降臨後第14主日 「言い伝え批判」

マルコによる福音書7章1〜15節
高野 公雄 牧師

ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」

更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
マルコによる福音書7章1~15節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

《ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった》。
前二週はイエスさまの奇跡物語でしたが、今週は論争物語になります。イエスさまの論争相手は「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たち」です。福音書には、イエスさまの敵対者として、ファリサイ派やその他の会派の人々が現われますので、まずはユダヤ教の会派についての話から始めたいと思います。

イエスさまの時代のユダヤ教は幅の広い宗教でした。イエスさまとその弟子たちはユダヤ教イエス派と呼ぶことができるグループです。それに福音書に出てくるファリサイ派とサドカイ派。聖書には出てきませんが、荒れ野の修
道院で厳格な生活をするエッセネ派。これは、洗礼者ヨハネのグループと似た禁欲主義的な集団だったようです。その他にも、熱心党とかヘロデ党などのグループがありました。

サドカイ派は、当時の指導者階級でした。エルサレム神殿に仕えた祭司階級であって、最高法院(サンヒドリン)では議員の多数派であり、与党でした。イエスさまを裁いた大祭司カイアファは、最高法院を代表する総理大臣でしたし、祭司長たちは大臣でした。彼らは、政治や思想面では、世界の流れに妥協的でした。

ファリサイ派は、ローマ帝国の影響を極力排除しようとする点で、サドカイ派と対立していました。最高法院では少数派であり、野党でした。祭司ではなく、信徒のエリート集団、学者集団であり、律法を解釈して実生活に適用するよう努める人々でした。彼らは、町々村々にあるユダヤ教会堂を通して、律法を国民生活の中心に置こうと努めていました。しかしまた、一般庶民階級を「律法を知らない群衆」として軽蔑してもいました。この点で、イエスさまはこのグループを買っていなかったと考えられます。なお、のちに異邦人伝道の使徒となったパウロはファリサイ派の教育を受けたと言います(使徒言行録26章1~11)。

律法学者は、ほとんどがファリサイ派でしたが、サドカイ派に属する学者もいました。
イエスさまの十字架上の死と、マルコ福音書が書かれたいた時では、およそ四十年の隔たりがありますが、その間にユダヤ教は一変してしまいます。西暦66年~70年にユダヤ戦争といって、ユダヤ人たちが一斉に蜂起して、ローマ帝国に対して反乱を起こします。相当に善戦したと言って良いと思いますが、最終的にはローマ軍によって制圧されます。そしてエルサレムの神殿は、今日、「嘆きの壁」と呼ばれる神殿の西壁だけを残して、完全に破壊されました。イエスさまご自身が神殿の崩壊を予告して、《これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない》(マルコ13章2)と言っている通りになりました。そして、ローマ軍はユダヤ人がエルサレムに住むことも入ることも禁じました。これによって、ユダヤ教にとって一番大事な祭儀であった神殿における犠牲の奉献ができなくなり、サドカイ派は没落します。指導権を取って変わったのが、ファリサイ派です。ファリサイ派は会堂で聖書を読むことを礼拝の中心とする宗教としてユダヤ教を立て直しました。それが、今日に続いているユダヤ教です。

70年以降、ユダヤ教の主導権を握ったファリサイ派は、イエス派を異端として破門し、ユダヤ教会堂から追放しました。このことは、ヨハネ福音の9章22、12章42、16章2と3回出てきます。ユダヤ教イエス派がキリスト教として独立する転機になりました。その他のグループは衰退して、ユダヤ教全体が、ファリサイ派の信仰一色となったのです。

《そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」》。

「食事の前に手を洗う」ということは、今でも通用する鉄則ですが、ここで問題になっているのは、ユダヤ教に特有の宗教儀礼としての浄、不浄の観念です。「汚れた」と訳されたギリシャ語コイノスは、一般的には「普通の(英語のcommon)」と訳される言葉で、宗教的な「きよめ」の儀式を経ていないという意味です。
3節と4節はダッシュに囲まれていて、著者マルコの注なのですが、念入りに手を洗う儀礼は「昔の人の言い伝え」であって、みんなが守っていた、と書かれています。これは、ただ昔からそう言い伝えられてきたということではなく、「昔の人」とは、原語で「長老、プロスビュテロイ」、すなわち過去の偉大な律法学者を指す用語です。「言い伝え」とは、モーセの律法を現実に適用するために行われた長老たちの律法解釈の口伝えによる伝承を指す用語です。これを勉強して、新たな現実に適用するのが、「ファリサイ派の人々と律法学者たち」の専門領域ですから、彼らにとってはいい加減にはできないことだったのです。なお、この口伝が後の時代には「ミシュナ」や「タルムード」という膨大なユダヤ教文書となって、現代にまで伝えられています。

《イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」》。

その口伝を律法学者たちはモーセの律法と同じ権威があるものと考えて受け継いできました。その「言い伝え」は積み重ねられて煩瑣なものになり、律法の真意が覆い隠されてしまうほどになっていました。

永遠の真理と考えられた律法も、時代の変化によって、それをどう適用するかという問題が生じてきます。そのとき、現実に合わせるということの中に、自分たちの都合に合わせようとする動機が紛れ込む余地が生じます。そのようにして、形の上では律法を守っていても、実質的には本来の律法の主旨にかなわないことを行っているという事態が、実際に起きてしまうのです。イエスさまは、神の掟と「言い伝え」が両立ではなく、対立するに至っている実態を指摘して、律法学者たちを「偽善者」と呼んで厳しく批判しています。ここで「偽善者」とは、不正を行いながら正しい言動をしているように装う人のことではなく、たとえその人が本心から正しいことを行なっているつもりでも、神の目から見て誤りであり不正であれば、その人を「偽善者」と言っています。
「解釈」というのは、もろ刃の剣であって、注意深く行なわなければなりません。日本の平和憲法も、解釈改憲と言われるように、平和憲法を守っていると言いながら、強大な軍事力をもち、海外への派兵も合法化されようとしています。

《更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている」》。

イエスさまはその例証として、コルバンの風習を取りあげます。コルバンとは、もとは神殿への献げ物を指すふつうの言葉でした。コルバンにすると誓った動物や品物は、律法では聖いものとされて日常の用に使うことはできませんが、「言い伝え」ではその後の扱いは誓った本人に任されたようです。それで、実際には神殿に献げないのに、人に使わせないだけのために、これはコルバンだから使えませんよというようなやり方が広まりました。こうして、「言い伝え」によって《父と母を敬え》という律法が無にされる例を、きょうの福音は鮮やかに描いています。

私たちも日本の精神風土にあって良識に従って振る舞っているつもりが、イエスさまの目で見る視点、福音から見る視点が抜けているために、的の中心を外して振る舞っていないかどうか、省みる必要があります。私たちが世間の常識に従って行動するとき、イエスさまの言葉にあるように、「神の言葉を無にして」いはしまいかと、一度、立ち止まって考えてみることが必要です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
アーメン

2012年8月26日 聖霊降臨後第13主日 「湖の上を歩く」

マルコによる福音書6章45〜52節
高野 公雄 牧師

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

マルコによる福音書6章45~52節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、イエスさまが湖の上を歩くという奇跡が語られています。これは先週の主日礼拝ときのうの開会礼拝で聞いた五千人にパンを与えた物語とともに、現代的な教育を受けてきた私たちにとって一番受け入れにくい物語だと思います。それで、きょうはまず、福音書の奇跡を読むときに承知しておいたほうが良いと思われることを、前置きとしてお話しすることから始めようと思います。

福音書に書かれた物語が歴史的事実であることは、十七世紀までは疑う人はほとんどいませんでした。ところが十八世紀に入ると啓蒙主義の思想の時代となります。福音書を読むとき何が歴史的な事実であったのかを見極めようとする見方が広まりました。それにともなって、福音書は単なる伝記ではなくて、イエスさまが救い主であることを証しする書物であることが明らかになりました。つまり、十字架と復活のあとで弟子たちがイエスさまこそ救い主であることを悟ったその信仰を証しするために、イエスさまの生前の出来事をふりかえり、信仰上の意義を、つまり福音を解き明かしている書物であると再認識することになりました。

次に、奇跡についてですが、古代の人々は奇跡は起こりうるものと考えていました。事実、奇跡を行う人は、イエスさまに限らず、ローマ帝国中に結構いたのです。当時の人々の感覚からすれば、この世は神々とか悪霊が動かしてものでした。したがって、イエスさまが水の上を歩いたこの奇跡は、救い主である証拠だとは言えません。イエスさまだけが奇跡を行っていたわけではありませんから。このような当時の人々の感覚と、この世界は自然法則に従って動いているのであって、奇跡など眉に唾つけて騙されないように気を付けなければと考える現代人の感覚とのずれが、奇跡物語の理解を難しくしているのだと思います。福音書にとってはイエスさまの奇跡のわざはひとつのしるしであって、そこからイエスさまが誰であるか、その福音を聞きとってほしいと願っているのです。では、きょうのテキストに入ります。

《それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた》。

五千人に食事を与えた出来事のあと、イエスさまは先に弟子たちをベトサイダへと送り出し、群衆を解散させると、ご自分はひとり祈るために山に行かれました。民衆のご自分への期待がふくらむ中で、いっそう神との交わりの時を必要とされたのでしょう。

ベトサイダはガリラヤ湖北岸の町で、ヨルダン川の東側にあります。川をはさんだ西側にはイエスさまのガリラヤ伝道の拠点となった町、カファルナウムがあります。

《夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた》。

日本語の「夕方」は日没前後のまだ明るさの残っている時間帯を意味すると思いますが、ここでの「夕方」と訳された言葉「オプシア」はすでに暗くなっているけれど人がまだ起きている時間帯を指しますから、日本語ではもう「夜」と言って良いでしょう。平行記事であるヨハネ6章17には「既に暗くなっていた」と書かれています。

ガリラヤ湖は世界一深い地溝帯にあり、その湖面は地中海の海面より200メートル以上も低く、また水深も200メートル以上ありました。東岸は断崖が迫っています。ときに夕方からは峡谷から強い風が吹き降りてきました。逆風のために漕ぎ悩んでいる遠くの弟子たちを暗闇の中で見ることができたことも不思議ですが、「夜が明けるころ」(これは3時から6時の時間帯を指す用語が使われています)、もっと不思議なことにイエスさまは「湖の上を歩いて」弟子たちのところに行きます。そして、さらに不思議なことに、彼らの「そばを通り過ぎようとされた」とあります。助けに来たように見えて、実際には通り過ぎて行ってしまうのでしょうか。

さて、意外と思われるかもしれませんが、この物語の中心聖句は、このイエスさまが彼らのそばを「通り過ぎようとされた」という言葉にあります。じつは、「通り過ぎる」という言葉は、神がある人にご自分を現わすことを意味する言葉なのです。つぎに、この言葉の三つの用例を挙げたいと思います。

《また(主は)言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない」》(出エジプト記33章20~23)。神を見たいというモーセの願いに答えて、神はご自分の手でモーセを覆いながら通り過ぎました。「通り過ぎる」は神が人にご自分を現わすことを指す言葉であることが分かります。

《エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた》(列王記上19章9~13)。アハブ王の追及を恐れて逃げ回っているエリヤを力づけるために、神は彼の前を通り過ぎて行かれました。ここでも「通り過ぎる」は、神が人にご自分を現わすことを指しています。

《「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」》(ルカ福音書12章35~38)。これはイエスさまの訓示ですが、「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」の「そばに来て」と訳された言葉が、実はギリシア語原文では「通り過ぎる」と同じ言葉「パレルコマイ」です。イエスさまは終末の宴では私たちのところに来て、自ら給仕してくださるというのです。

《夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた》という文章は、イエスさまがそばを通って去って行ってしまうということを言っているのではなく、漕ぎ悩んでいる弟子たちにイエスさまがご自分を神として救い主として現わして、励まし助けてくださったことを表わしています。

《弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである》。

逆風に遭って苦しんでいる弟子たちにご自分を救い主として現わされたことは、激励の中の「わたしだ」という言葉からも証明できます。

《モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」》(出エジプト記3章13~14)。これはモーセがエジプトに遣わされるときの神との会話ですが、ここで「わたしはある」と訳された言葉と「わたしだ」は同じ言葉「エゴー・エイミ」です。これは神の名でもあり、また、神はいつもあなたと共にいるという神の人に対する信実を表わす言葉でもあります。

イエスさまは弟子たちに「わたしは幽霊ではなく、イエスだよ」と言っているのではなく、「わたしは神であり救い主である。いつもあなたがたと共にいて、あなたがたを救う」、だから「安心しなさい。恐れることはない」のです。《イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた》とあるとおりです。

私たちもまた、弟子たちと同じように、暗くて行く先も定かに見通せない旅の途上にあって、逆風に漕ぎ悩んでいる者たちです。そういう私たちにとって、イエスさまは救いの神です。必ずや無事に対岸の波止場に導いてくださいます。私たちはそう信じて生きて行きます。この物語に、アーメン、アーメンと応えたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン