2010年10月31日 宗教改革記念日 「真理はあなたを自由にする」

説教: 五十嵐 誠 牧師

ヨハネによる福音書8章31〜38節

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。


私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安が あるように アーメン

真理はあなたたちを自由にする」は国会図書館の銘板に書かれています。この図書館の「真理」とは「存在と思惟の一致としての普遍妥当的知識,あるいは存在と行為の一致としての真実の」ことを言います。哲学的な真理です。アリスとテレスは「在るものを在ると言い、在らぬものを在らぬと言うことが真理である」と言っています。。

しかし、聖書では・・旧約聖書では、ヘブル語では「真理」または「真実」「まこと」などと訳されています。真実であられる神の御性格(詩57:10,117:2)を表し、また、神のみことば(詩119:160)、神の戒め(または仰せ)(詩119:151)、神のさばき(詩19:9)の真理性、真実性を表現しています。新約聖書では、ギリシャ語ですが、・・真理は救いのために啓示された神のみこころとしての「福音そのもの」を意味しています。「福音の真理があなたがたの間で常に保たれる」(ガラ2:5)ように書いています。また、「真理はイエスにある」(エペ4:21)。真理はイエスの中にあるのです。さらに、このイエスにある真理に私たちを導いてくださるのは「真理の御霊」(ヨハ14:17,15:26,16:13)である聖霊でもあります。さらに,この救いを宣べ伝える教会の正しい教義が真理と呼ばれています。(ヘブ10:26,Ⅱペテ1:12)、教会が「真理の柱また土台」(Ⅰテモ3:15)とも呼ばれています。所で、イエスの言う真理とは何かです。

私はイエスの「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」から、私は「イエスご自身とその言葉」であると思います。それが人々を自由にすると言うのです。

自由とは何か。自由を巡って議論があります。哲学、社会、政治、経済、文学、宗教での論議もあります。辞典を引きますと、勝手気まま、責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと、個人の権利(人権)が侵されないこと、自身の立てた規範に従って行動すること、自分の思いどおりにできることなどです。私たちの自由とは、何ものにも束縛されないで、自分の思い通りに出来ることが大きいと言えます。中世から近代へは人間の束縛から自由でした。宗教的な束縛からの自由でした。近代人とは神を脇に追いやるものでした。人間中心です。イエスの譬えの、あの放蕩息子のように、自分の思う通りに生きるのが自由と思います。いわゆる、自主独立を果たした人間が、自由人だと言います。

イエスの言う自由とは・・「もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」・・イエスが、イエスの言葉が与える自由とは何であろうか。ユダヤ人たちは誤解して、自分たちはアブラハムの子孫だ、神に選ばれた民だ、律法や儀式制度もある、自分たちはイスラエルの民で、神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は自分たちものである」(ロマ9:4)と言って、「今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」と言う民族的な誇りが、イエスの言葉に耳をふさがせる結果になりました。

*アブラムという意味については,アブは「父」を意味し,アブラハムとは「多くの国民の父」という意味で、カナンの地目指して生れ故郷であるカルデヤのウルを出発した。ユダヤ人の祖先で、信仰の父として尊敬されていた。

イエスの言う自由とは、そういう「 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢(ごうまん)、誇りと言う「罪」・・人間に巣くっている強力な、支配の力からの・・からの自由・解放」

を意味しています。この罪の束縛からの解放をもたらす方としてイエス・キリストが示されています。

パウロという使徒は罪についての自覚を語っています。私たちはそれほどには感じない点があります。彼は「わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」。「自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」。彼は叫びます。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」。そして、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」。と言い、救いがイエス・キリストから来ることを確信して、神に感謝を表しています。(ローマ7:14ー25)。

今日は教会暦では「宗教改革記念日」です。世界のプロテスタントの教会の、そして特別に、ルーテル教会の記念日です。世界史で学んだと思いますが、プロテスタント教会がローマ・カトリック教会と、教義の相違から、分かれたことを覚えて守ります。主人公はマルチン・ルター(ルーテル)というドイツの神学者で牧師でした。時は1517年10月31日ヴィッテンベルクの城教会の扉に、あの有名な「95箇条の提題・・贖宥(しよくゆう)の効力を明らかにするための討論」を張り出しました。その日がルターの改革の第一歩になりました。ルターは「免罪符」の発売を取り上げて、真のキリストの救いの福音を回復しようとしたのでした。

*しょくゆう・贖宥(indulgence)。カトリック教会で、すでにゆるされた罪の長期的な償いを、教会の権能をもって免除すること。

*免罪符・・贖宥しょくゆうのしるしとして中世カトリック教会が発行した証書。ローマのバチカンの大聖堂を修理するために売り出されたのが免罪符。贖宥状。賽銭箱にお金が入り、チャリーンと音がした瞬間、死者の魂は直ちに、天国に入るという宣伝文句が有名。

世界中におおくの宗教と信仰があります。千差万別・いろいろな種類があって、その違いもさまざまです。しかし、ただ、二つの宗教・信仰しかありません。世界の聖典・教典を翻訳したマックス・ミュラーという学者はこう言いました。それは「これこれを行いなさい。そうしたら救われます」と、「信じなさい。そうしたら救われます」だと。前者を「律法の宗教・業の信仰」といい、後者を「福音の宗教・信仰の宗教」と言います。つまり、「律法」と「福音」です。もちろん、キリスト教は唯一の福音・信仰の宗教です。じゃ、なぜ宗教改革が生じたかですが、当時のカトリック教会が福音を変えてしまったからです。問題は、どうしたら、その恵みの神を持つことが出来るかですが、・・この問は今月の31日の「宗教改革記念日」の中心テーマでした。マルチン・ルターは「如何にして私は恵み深い神を見いだすこと出来るであろうか」(Wie Kriege ich einen gnadigen Gott?)と言う問を抱いていました。ルターは修道院で、救われるためにはキリストのようになるように努力し、夜も眠らず、断食をし、祈り、自分の体を折檻し苦しめて、自分が忠実にかつ簡素に生き続けるように努めた」のでしたが、こんな方法ではキリストを見いだすことが不可能であり、キリストは、なおも、「あなたは罪と死に留まっている」と言われることに気がついたのでした。ルターは苦しみました。

*マックス・ミュラーという宗教学者は「東洋聖典全集」51巻)と言う東洋の宗教の教典を翻訳した本を出しました。彼は教典を訳して分かったことは、宗教には「これこれをせよ!そうしたら救われる」というのと「信じなさい、そうしたら救われる」とう二つしかないことだと。つまり、「律法」と「福音」です。

16世紀のカトリック教会は救いの道をコンクリートできっちりと固めていました。天国への階段を整えて、救いのシステムを作りました。信者の天国への保証を三つ階段で設けました。難しくなりますか簡単に言いますが、第一段は自助・selfhelp・すなわち善行による救いでした。「天は・神は自ら助ける者を助ける」です。第二段は「聖人の功績」でした。聖人とはカトリックでは特に信仰と徳にすぐれた信徒として崇敬され、自分の救いに必要以上の善行を果たした者で、その余得は教会で管理し、必要に応じて分配されるものでした。第三段は神と人が神秘的に合一することでした。日本にも「われ主に、主われに ありてやすし」という賛美歌があります。(旧賛美歌361)。これ以上のさいわいはない。

しかし、ルターはこの三段で悩みました。第一はどれだけ善行・よい業を充分に積まねばならないかでした。ルターは厳格に戒律を守ったので「自分は天国に入れただろう」と言いましたが、しかし、彼は充分な善行を確信できなかった。だから、彼は「キリストは恐ろしい方」と言っています。第二は聖人の余禄を受けるためには「懺悔」をすることが必要でした。しかし、ルターは人は果たして、自分の罪を全部知ることが出来るか、そうすると「懺悔」から「赦し」の道は閉ざされてしまいます。救いの保証はありません。絶望です。第三は「果たした罪深い被造物の人間が、全能の神と一つになれるか」という疑念でした。ルターは絶望した。ルターは良心的な人間で、罪に対して鋭い感受性を持っていました。そんなかで彼は、教会が失っていた宝を・・福音を再発見することになります。それは何処に?

福音の再発見。それは聖書でした。彼は聖書を深く学び、遂に「イエスを信じる信仰」と言う宝を回復しました。その中で、一つの出来事が起きました。それは「免罪符」問題

でした。聞いた言葉でしょう。免罪符は正式には「贖宥状(しょくゆうじょう)」と言います。英語では(indulgenc・ラテン語indulgentia)です。それはシステムの第二段の「聖人の功績・余得」から考えられました。ローマのヴァチカン・聖ペトロ大聖堂の増改築と修理で発行されました。その余得を原資に売り出されました。「贖宥状」とは「罪を赦す札・書面・証明書」です。ルターがこれを批判して「宗教改革」が始まりました。ルターは95箇条27条に当時のカトリック教会の「あなたの金が、賽銭箱に入り、“チャリン”と音がしたとき、煉獄(天国の手前で苦しんでいる)の魂は天国に入る、さー、さー買った」という宣伝文句を書いています。驚くべきことです。さらに、今までの罪ばかりか、これからの罪も、全部帳消しになるのだと説教しました。お金が救い主です。これは売れますね!

ルターが聖書から(再)発見し、ルーテル教会が宗教改革の精神としている三大原理があります。「信仰のみ」、「恵みのみ」、「聖書のみ」ですが、この教会の正面の壁面にあります。イスの背中のタイルにもあります。ラテン語で「Sola Fide」、「Sola gratia」、「Sola Scriputura」です。英語では「Only Faith」、「Only grace」、「Only Scripture」です。ルターは「律法の行いか信仰か」に対して、律法の行いでなく、信仰によるというのは、「信仰のみ、恵みのみ」ということであり、それは「聖書」しかも「聖書のみ」に由由来すると言ったのです。

ルターはキリストを小さくしたり、キリストを無視することに反対しました。ルターは聖書から見い出した教会の宝・福音を示しました。それが今朝の第二聖書日課のパウロの言葉「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義・神の愛と救いです。わたしたちは、人が義とされるのは(救われるのは)律法の行いによるのではなく、信仰による」の福音です。福音とは喜びの知らせです。パウロはローマ人への手紙3:22以下でも同じように書いていますが、今日は分かりやすい意訳(原文の一語一語にこだわらず、全体の意味に重点をおいて訳す)した文章を紹介します。リビングバイブルという翻訳ですが。「しかし今や、神は、天国へ行く別の道を示してくださいました。その新しい道は、「善人になる」とか、神のおきてを守ろうと努力するような道ではありません。神は どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです」。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義(救い)であって、すべて信じる人に与えられるものである」私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、恵みにより、無償(無料・信仰)で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです」。この福音をルーテル教会は受け継いでいます。それで、宗教改革記念日を守るのです。

ルターの再発見した福音は救いのシステムを簡略化したと言えます。ローマカトリック教会が築いた救いのシステムを破壊しました。イエスは救いの近道を造りました。カトリック教会はイエスを非難しました。パソコンでショートカットというアイコンがあります。それはそのアイコンをクリックするだけで、ソフトが立ち上がります。イエスは救いの近道・ショートカットを・・信仰による救いという道でした。それは証拠があります。

イエスが十字架に」付けられた時、二人の犯罪人も一緒に付けられていました。「ルカ24:39-43」です。十字架は三本です。状況は以下のようでした。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた」。

イエスが同僚をたしなめた犯罪人に「今日わたしと一緒に楽園にいる」と言いましたが、そのことによって「救い」を直ちに保証したのです。犯罪人は「御国においでになるとき」という言葉で、イエスがメシア・救い主であることを認めていたからです。(*「み国と「神の国」です)。このイエスを弁護した犯罪人は、心を入れ替えて善行に励んだから、救いを保証されたのではないのです。この犯罪人は証人です。人間は神に立ち帰る時、それは悔い改めてですが、罪が赦され救いに招き入れられることを、彼は証ししているのです。美しい場面です。その証し聞きたいと思います。

今朝、イエスは「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と言われています。自由にする・・自分は思い通りに生きていると思っています。信仰なんか関係ないとも。在る学者は宗教は要らないとさえ言います。しかし、宗教が示す人間の生き方・人間を人間として生かす宗教は必ず必要なのです。生きると言うことは実に多種多様な経験をするものです。信じる宗教を持つことは、どんな時でも、恐れず、真実な生き方が出来ると思います。

難しいことは言いませんが、人生を生きるとき、どんなときでも、信仰を持ち、信じて生き、希望を持って、自由な喜びを与えるのは「律法」か「福音・イエス」かを、見つめる日としていただきたいと思います。イエスは「真理はあなたたちを自由にする」と言われました、その真理をどこにみいだすでしょうか。

「真理」を考え、見いだす日となるように祈ります。

アーメン

2010年10月24日 聖霊降臨後第22主日 「人間の悩み、痛み、涙を・・全てを受け止める愛を・・」

説教: 五十嵐 誠 牧師

ルカによる福音書18章9〜14節

「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ころが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから 恵みと平安が あるように アーメン

 

久しぶりに講壇を担当しました。約二月ぶりです。あの夏の猛暑で体調を崩し、また、入院・手術などをいたしました。皆さんのお祈りとお見舞いの言葉を感謝します。有難うございました。完全ではありませんが、お会いできて幸いです。

さて、今日は先ほど読みました、イエスの譬えを学びたいと思います。有名ですから今さらという点もありますが、一緒に考えたいと思います。

今日の説教を理解するために二つの言葉を説明します。譬えに登場していた人物です。ファリサイ派と徴税人です。前者の言葉は日本語でも通用しています。よく「ファリサイ的人間」と使われます。むかしは「パリサイ的人間」でした。自分のことはさしおいて他人を厳しく批判する人を言います。

*ファリサイ派は「分離する者」の意。イエスの時代に盛んだったユダヤ教の一派。紀元前2世紀の後半に起こり、モーセの律法の厳格な遵守を主張、これを守らない者を汚れた者として斥けた。イエスはその偽善的傾向を激しく攻撃した。パリサイ派とも言う。

宗教というものは、時が経つと内容が変質して来ます。純粋な精神が薄れて・・中心がスポイル・俗化させる、失われて・・されて、形骸化します。ですから、時々、宗教改革が起きます。キリスト教にかぎらず、ユダヤ教や仏教やイスラム教にも起こります。日本の場合は「新~~~派」とか「~派~~~」となります。京都のお寺に行くと解ります。寺院の山号(寺院の名に冠する称号)でも理解出来ます。

ファリサイ派はイエスと強く対立したユダヤ教の一派で、偽善者というレッテルを貼られました。マタイの福音書の23章で、イエスは「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」、「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである」、「あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓だ」。「外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」と言いました。聞いたら目をむくような批判です。

また、その生活もこう言われています。「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」。「そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む」。要約すれば、宗教・信仰と生活が一致していなかった。信仰の形骸化になります。

 聖句の入った小箱とは「経札」といい、一辺が3センチのものから45センチのもの。ユダヤ人はこれをテフィッリーン(祈祷ひも)と呼び、身につける慣習を持っていた。出13916)。

「頭の経札」と「腕の経札」の2種類があった。子供は13歳になるまでこれをつけることは許されなかった。「シェマー・聞け」(申命記6:4)という聖句が入っていた。

偽善者と言うのは人にめったに言ってはならない言葉ですが、ギリシャ語・uJpokrithv”・フポクリテス・では「芝居をする人・俳優」を意味します。イエスは、外面的には敬虔に振舞いながらその実のない律法学者,パリサイ人などをきびしく戒められ、そう呼ばれた。(マタ23:27‐28)。彼らは、時には慈善家を気取り,またひたすら祈りに打ち込む姿を演じて、人々の賞賛を得ようとした(マタ6:2‐5)。しかし、全てのファリサイ派が偽善者で、型式主義者ではなかった。中には真面目なファリサイ派もいました。しかし、おちいりやすい弊害として、自画自賛・自己讃美や自己義認になります。今日のファリサイ人のようにです。

「徴税人・取税人」とは税金を集める者、今の税務署の役人です。当時の税金の徴収事務は請負制でした。請負とは一定の仕事の完成に対し一定の報酬をもらう約束で、仕事を引き受ける制度です。私が入った病院は手術は出来高払いでなく、請負制でした。健康保険ですが、ビックリしました。ローマ帝国は占領地の支配を、不必要な刺激を避けて、ユダヤ人の場合は比較的自由にしました。植民地からも税金は二つありました。直接税と間接税です。直接税は男子一人に付きいくらという「人頭税」です。ルカの福音書では、人口調査のために、マリアとヨセフは、ベツレヘムに行き、イエスを生みました。

もう一つは通行税でした。主な道路に収税所を置き、通行する者から税金を徴収しました。この時代、その徴税事務をしていたのはローマの官吏でなく、「徴税人」と呼ばれるユダヤ人でした。ユダヤ人は収税所の権利を金で買い取りました。多額の投資をしましたから、その多額な投資金を何とかして回収しようとして、誤魔化したりして、規定以上の税金を手にしたようです。そのため、同じユダヤ人からは「罪人」というレッテルを貼られました。彼らの不正行為ばかりでなく、同じユダヤ人から、占領者のローマ帝国のために働いて、私腹を肥やしているとう理由で、人々からは嫌われ、ファリサイ派からは背教者と言われ、差別されました。

ある日、この二人が神殿に来ました。国中、エルサレムには多くの会堂・シナゴーグがありましたが、徴税人は入る勇気はなかった。彼は邪魔されずに入れる神殿の外側の、端にある庭に来たようです。そこは神殿に来る人達からも遠く離れた場所でした。

神殿とはユダヤ教の礼拝・祭儀の中心聖地です。祈るためですが、祈りは規定では朝の九時と午後の三時でした。ファリサイ人は意気揚々と胸を張って神殿に入り、堂々と祈りを始めました。「心の中で祈った」とありますが、彼は本当は全知の神の耳に聞こえるように、また周りの者にも聞こえるように、祈り・・いやしゃべったと言えるのです。自己義認と周囲の人達を見下す気持を持って祈りました。

祈りは短かった。前置きがあり、否定的な要素・・自分が他の人のようでないことを・

罪人でないことを感謝しています。次に自信過剰の要素・・自分の功徳(くどく)を列挙しています。

自分は必要以上のことをしている・・週二回・月と木に断食・・年に一回でいいのにです。(贖罪の日)。十分の一の献げ物・・信仰深いユダヤ人の義務でした。それ以上していたと思います。恐らく他にも多くしていたと言えます。「私」はと言う代名詞が輝いています。(前期のファリサイ人の祈りと同じく、日本語では代名詞I(私)は訳されません。原文や英文では、はっきりします)。

このファリサイ人の祈りの背後には、ある詩編の言葉がありました。詩編24:3-4です。イスラエルの王ダビデが歌いました。

「どのような人が、主の山に上り、聖所・神殿に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる」

どうして徴税人のような悪党が、あえて神殿地域に入ってくることが出来るのか。ダビデのこの言葉は、この徴税人を非難しないだろうかです。

一方、徴税人は全く違っていました。彼は、遠く離れて立ち、自分の目を天に上げようともせず、無価値な自分を知って、胸を打ちながら・・申し訳ないという心を持って・・祈りました。彼はたった一言「神様、罪人のわたしを憐れんでください」とだけ祈りました。この言葉は。あの有名なダビデ王が祈った言葉でもありました。(詩編51:1)。

*(ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たときに発した言葉)。

彼は「罪人」と言いました。英語では「The sinner」ですが、単なる「A sinner・罪人」ではなくて、Theが付くと用法で強勢が置かれて、本当の、最高の罪人と言う意味です。「遠くに離れて立ち」とは彼が罪の贖いの犠牲の献げ物をもって、祭司の所にいく勇気がなかったことを示しています。で、彼は「神よ、罪人のわたしを憐れんでください」と。

ある牧師はこう言いました。二人の人が祈りに行った。否、むしろ、一人はほらを吹きに行き、もう一人は祈りにいった。的を突いて射ます。

結論に行きましょう。明白です。「義とされて家に帰ったのは、この人・徴税人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。つまり、「自分の罪が赦されて帰ったのは、この徴税人であって、他の者ではなかった」です。

イエスは何をこの譬えで教えようとしたのかです。ある牧師は救いは行いでなく、自分は罪人であるという謙遜な心を持つことだと言いました。人間は功徳主義(くどくしゆぎ)・・自分は神の恩恵を受けるに必要以上の敬虔な行為・余徳があるという考えを捨てきれません。キリスト教の業によらず、無代価の救い・恵みによる救いを信じません。一人は聖徒として家に帰りました。一人は罪人として家に帰りました。立場が反転しています。

別の牧師は哲学者のキルケゴールの言葉を引用して、「この言葉はイエスが譬えを通して私たちに語っている永遠の言葉である」と言います。ファリサイ・パリサイ的な精神・自己義認・自己本位は、イエスの時代から今にいたるまで教会の中に陰に陽に続いているからであるという。そして、私たちはそれが危険だとは気づいていない。私たちは自分自身の小さなシオンに安住する教会人になる危険があります。神の言葉を鏡として見るならば、私たちは自分の生の中に、徴税人とファリサイ人を、垣間見ることが出来るのです。「神よ、精神的自己満足を取り去って下さいと祈りたい」と。

*キルケゴール:デンマークの思想家。人生の最深の意味を世界と神、現実と理想、信と知との絶対的対立のうちに見、個的実存を重視、後の実存哲学と弁証法神学とに大きな影響を与えた。「不安の概念」「死に至る病」が有名。

知人の牧師は言いました。「義とされて帰ったのは徴税人だった」と言う「義」は聖書では大事な言葉で、意味は神と親しい関係とか神のみ手に迎えられる、愛される、救われるという意味です。イエスはそう言う意味で言われたのです。牧師は、神は愛であるという福音を述べ伝えることを勤めとしています。神は悔い改める者を赦される方ですから、徴税人が赦されるのは分かると。

しかし、ファリサイ人の祈りは、ただ一点・・徴税人とは違うと言ったこと・を除けば、他は立派です。ファリサイ派の代表みたいです。

ではイエスは何を言いたいのかですが、イエスは「何を一番大事にされたか」だと思います。この譬えでは、当時の社会の価値観が逆転しています。いや現在の価値観とも反対です。普通は、徴税人のような者よりはファリサイ人は立派であると考えるのは当然です。

イエスは律法とか倫理でもって、人を判定する考え方・・ファリサイ派の信念です。それをイエスは否定したのです。イエスは人々が持っている・・持つように至った・・悲しみ、悩み、憂い、痛み、涙を踏みにじる方ではありませんし、裁く方でも、石を投げつける方ではありません。イエスは神の愛・・人間の悩み、痛み、悲しみ、涙を受け止める愛を・・アガペーを一番大切にしました。そういう愛の心がファリサイ派には欠けていたのです。いくら立派に生きていても、アガペーの姿勢を欠いては意味がない。それを教えるために譬えを話したと知人の牧師の言葉です。読みが深い。

私は50年前の神学校の小礼拝室の一枚の絵を思い出しています。それは大きな教会の礼拝風景でした。前方の祭壇は明るく、美しく整えられ、正面には十字架の像が掛けられています。大勢の出席者が礼拝をしていました。しかし、よく絵を見ると、礼拝堂の最後尾の薄くらい席に、遠く離れて座っている人の側に、一人の人物がいます。それは主イエスでした。私は、主は何処に居られるかを示していると思っていました。この譬えも同じだと思います。

イエスは私たちを、あるがままの姿で、状況で、受け止めて、愛して下さるのです。この譬えはそんなイエスを示しています。皆さんは、罪人として家に帰りますか、聖徒・赦された者として家に帰りますか。どちらでしょうか。

アーメン

2010年10月17日 聖霊降臨後第21主日 「神との格闘」

説教:安藤 政泰 牧師

ルカによる福音書18章1〜8節

イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」


日曜日の朝 礼拝前に礼拝堂の後部で祈りの会をしています。

祈りを共にする、このことから教会は始まります。

共に祈れないのであれば、教会とは言えませんし、祈らない人はキリスト者と言えるでしょうか。祈らないとの、祈れないのとは 違います。神は私たちが祈る前に、私たちの祈りを知っておられます。

そこで、祈りについて考えてみましょう。

あなたは祈りますか?

もし その答えが「いいえ」でしたら それは、洗礼を受けたクリスチャンとは言えないと思います。
あなたは人前でも祈りますか? もしそれが「いいえ」でしたら、それは是非人前でも祈るように勧めます。

他の人と共有している、神様への共同の感謝、讃美、願、があるはずですから、

それを言葉にすることにより、あなたの祈りがより堅いものになります。

祈りは神との対話です。

個人の密室の祈りに禁句や禁止事項はありません。何をどのように祈っても良いのです。

共同の祈りにはある程度のルールがありますが、それも、必ず守らなければならないルールではありません。具体的にはどのように祈るでしょうか。それは聖書では、主イエスがどのように祈るとかとの弟子の問いに答えて示されたのが主の祈りです。人前で祈る時の手本は「主の祈りが祈り」です

神への呼びかけ 「天の父よ」「神様」・・・

神への感謝 讃美

私たちの願:大きな世界の事から 最後は自分の事へと祈る

例 平和の祈願 世界の平和 アジアの平和 日本の平和 教会の平安

友人の平安 家族の平安 自分の平安

結び:キリストの名前により祈る 「主イエスキリストのみ名により祈ります」

そして 他の人の祈りに同意し、私もたしかに同じように讃美し、感謝し、祈願しますの意味で「アーメン」と唱和します。

今日の日課です。

不正な家令のたとえ話しの様にこの話しも皮肉な読み方をすると不愉快に感じる物語です。

イエスはこのたとえ話しで二つの事を示そうとしておられます。

第一は、祈りに於いて神に訴えるかぎり、その実現にどんな困窮にあっても、

疑いを抱かなくてよい、と 言うことです。

第二は、祈りの中心になるものは自分自身の権利ではなく、

神の権利、神の義である、ということです。

私達の祈りがすぐに神によって聞かれなくとも、その願いが拒まれたと言うことではない事が今日の聖書の箇所で示されています。

身寄りのない無力な女が絶え間無い懇願によって、法を守るより、その反対をしているような裁判官をして、彼女の権利の回復の処置にふみきらせた。

ましてや、神に属する者の願いを切り捨てる事はなさらない。

しかし、私達が祈るとき、ルターが述べていることに気をつけなければならない。彼は「主の祈りの講解」で、「我々は『愛する父よ、あなたのみ国に我々を赴かせて下さい』とは祈らない。それではまるで我々がみ国に向かって走っていかねばならないようだ。我々の祈りは、『あなたのみ国が我々に来ますように』である。私達が自分を主体として祈るのではなく、自分が神様のところに、あたかも赴くように祈るのではなく、神様が私達の所に来て下さるように祈るのです。それは、言い換えれば、自分が自分の力で変わるのではなく、自分が神の力により変えられる、と言うことです。

本日の第1日課よ見ましょう。創世記32:23-31

ヤコブはラバンの家に逃げて身をよせていましたが帰国を決心しました。エドムに住むエソウの所に帰ろうと旅を続けていました。いよいよヤコブは川を渡ってエドムにちかずいて時不思議なことが起こりました。ヤコブは一晩中、見知らぬ人と格闘しました、ヤコブはほとんど勝負に勝っていたようですが、最後に脱臼させられて終わりました。この物語も二つの事を教えています。

イスラエルと言う名の起源です。

もうひとつはペニエルという聖所の起源です。

ヤコブはまだだます者、おしのける者と言う意味を持っていました、GEN27:36

27:32 父イサクが、「お前は誰なのか」と聞くと、「わたしです。あなたの息子、長男のエサウです」と答えが返ってきた。27:33 イサクは激しく体を震わせて言った。「では、あれは、一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。」27:34 エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫びをあげて激しく泣き、父に向かって言った。「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。」27:35 イサクは言った。「お前の弟が来て策略を使い、お前の祝福を奪ってしまった。」

27:36 エサウは叫んだ。「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた。あのときはわたしの長子の権利を奪い、今度はわたしの祝福を奪ってしまった。」エサウは続けて言った。「お父さんは、わたしのために祝福を残しておいてくれなかったのですか。」

27:37 イサクはエサウに答えた。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか。」27:38 エサウは父に叫んだ。「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。

このかんばしからぬ名前から、神との格闘をへて新しい人に変えられました。

神と格闘したもの、イスラエルとなります。ヤコブが神と顔と顔を合わせて見たことから、神の顔お意味するペニエルと言う新しい聖所が生まれました。

神を見ると死ぬ、と言われたのに、ヤコブはモーセのように神を見ることをゆるされたのでした。古いヤコブが神との出会いにより新しいヤコブとされたように。神との真剣な祈りに於ける対面により変えられます。ヤコブが相撲して祝福を切にねがったように神との真剣な対面を切望し、祈りましょう。

2010年10月10日 聖霊降臨後第20主日 「この人はサマリア人だった」

説教:柴田 千頭男 牧師

ルカによる福音書17章11〜19節
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


ルカによると主イエスは、最後にエルサレムへ上られた時、サマリアとガリラヤの間を通っていかれました。その途上、ある村に入った時、十人の者たちがイエスを出迎えたのです。しかし彼らはイエスに近寄ろうとしません。ただ遠く離れて立ち止まっていました。今日の話はそこから始まります。彼らは全員重い皮膚病をわずらっていたのです。この病気にかかっていた者については、ユダヤ人社会では、徹底した規制がありました。レビ記13章45
節から、その規制が記されています。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口髭を覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人はひとり宿営の外に住まねばならない。」彼らは他の健康な人に接することを禁じられ、社会からは隔離され、他の人と擦れ違う時には病気について黙っていてはならなかった。これがこの十人がイエスから遠く離れて、声を張り上げ、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ理由なのです。彼らは、人間としての存在すら認められていなかった、と言ってもよい。そういう人々がイエスに出会ったのです。イエスはその彼らにこう言われました、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」。これはレビ記の規制を守った彼らに、イエスもレビ記の指示に従って対応したということです。レビ記14章によれば、重い皮膚病を患った人の管理、監督をするのはひたすら祭司の役割でした。人がこの病気に罹っているか、どうか、またその病気が治ったか、治っていないか、といった判断の一切が司祭にゆだねられていたのです。彼らはイエスの言葉どおり、祭司のところへ行ったが、その途中で奇跡が起こったのです。彼らは突然自分たちが清くなり、病気から解放されたことを知りました。もちろん彼らはそこから引き返さず、清くなった体を祭司に見せ、清められたという判断を下され、夢にまで見ていたに違いない社会復帰を許可され、喜びに小躍りしたでしょう。ここまではイエスの奇跡の話です。しかしそれが終わりではなく、ルカはここから重要な本題に入るのです。

彼らは自分たちを社会から締め出していた憎むべき病から解放された。その喜びはいかばかりか。しかし彼等はその喜びと感謝を癒してくださったイエスに伝えようとはしなかったのです。それをしたのはたった一人、しかもそれはユダヤ人ではなく、サマリア人だったというのです。だからイエスは「清くされたのは十人ではなかったか」とおっしゃり、このサマリア人に対してだけ、「立ち上がって、いきなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と宣言されたのです。ここはよくよく注意しなければなりません。救われた、と声を掛けられたのは、このひとりの人間であって、他の9人病を癒されたけれど、救われたとは言われていないのです。病は癒された、しかし彼らはその癒し手イエスと無関係に生きる道を歩んでいったのです。

ヨハネ14章19節でイエスは言われている、「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」と。これがクリスチャンの命の内実、内容です。イエス抜きでは、人は生きていても、それは死ぬべき命を生きているということが真相です。コリント第二の手紙の5章4節にパウロの、「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう」という言葉があります。これはまことに凄い言葉です。人は病気であろうが、なかろうが、100%「死ぬべき」ものとして生きているは否定しようのない事実ですが、その死ぬべきものが、最後に命に飲み込まれてしまう、とパウロは言っているのです。そういう考えられない逆転が起こる、と言っているのです。そういう死を飲み込んでしまう命はただ一つしかない。十字架上で人類の罪を全部引取り、死なれたイエス、しかもその死に打ち勝って復活したイエスしかない。それが死を飲み込む命なのです。そしてそのイエスのものとされることが本当の救いなのです。表面的にはこのサマリア人と9人のユダヤ人との間になんの違いはないでしょう。だが人生の内実がすっかり違ってしまったのです。イエスと共にあるか、ないか。それは天と地の違いです。ここをさらに考えていきましょう。

この人がサマリア人であったことがここでは特に強調されています。イエスも「この外国人」と彼を呼んでいます。これはどういうことでしょうか。このルカ17章から少し戻って9章に行ってみますと、驚くことがそこに記されています。エルサレムへ向かう決心をされたイエスのため、弟子たちが準備、恐らく宿泊の準備のためでしょうか、サマリア人の村に入ったという話が出てきます。ところがサマリア人たちは、イエスがエルサレムへ行く途中と知ると、イエスを迎えることを拒否してしまった、のです。弟子のヤコブとヨハネはこれに激怒して、「天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」というような、とんでもないことを口にしています。それだけ冷たくあしらわれ、腹がたったのでしょう。だがこれがユダヤ人とサマリア人の現実でした。エルサレムの神殿とサマリアのゲリジム山は敵対関係にあり、同じ神を信じながら、彼らの宗教は二分されていました。ご存知のように、この時代、聖書ですら三つありました。ヘブライ語聖書、ギリシア語の七十人訳聖書、それにサマリア聖書と言われるものです。なぜそのような分裂があったのか。列王記下17章によると、紀元前8世紀にアッシリアによりサマリアのある北の王朝イスラエルは滅んでおります。その時、アッシリアは人々を大挙連れ去り、そのかわり他民族をサマリアに植民したのです。その後、アッシリアが滅亡しましたが、この植民された人々はその地に残っており、当然しこりの原因になっていました。有名なヨハネ福音書4章のイエスとサマリアの女の話がそのあたりを語ってくれています。そこではイエスが女に水を所望していますが、女はイエスに「あなたがたユダヤ人はサマリア人とは交際しない」と9章で言っています。交際と訳されたスンクロマイσυγχρωβαιという言葉は本来一緒に物を使用する、例えば「同じ桶で水を飲む」といっている言葉ですから、ここではもう同じ釜の飯は一緒に食べない、という意味なわけです。だから隣合わせに生きていてもこれでは「外国人」です。それがサマリア人とユダヤ人の現実でした。

にもかかわらず、ここではこの現実に逆転が起こったのです。まずこの外国人に、「あなたの信仰があなたを救った」とイエスは宣言されたのです。これは「あなたはわたしの永遠の命にあずかったのだ」ということとまったく同じです。これが福音なのです。そしてこの福音が、人間がもたらした罪の現実に、価値の転倒をもたらすのです。ここではもう、重い皮膚病を病んでいるか、いないか、という区別も、ユダヤ人か、サマリア人かという区別も、身内か、身内でないか、という区別も無くなってしまう。信じるというだれでも可能な、平等の地平にすべての人が立つことを許されるのです。それなのに、そういう区別に固執するなら、その人はもうイエスが何であるか全然わかっていない人です。今日のこの話では、天から火を降らせ、焼き殺してもよい、とイエスの弟子ですら思ったサマリア人のひとりが、あなたの信仰があなたを救ったと言われたのです。これが福音なのです。

10月は宗教改革記念日の月です。信仰がすべてだ、という真理を再確認したルターが、その福音をかかげて教会の改革運動に乗り出したという出来事、厳密に言うなら、この原理への回帰運動を起こしたことを記念する月です。この真理を教義的には、信仰義認とパウロは呼びました。人間はイエスを信じることによってのみ、神によって義と宣言され、神に受け入れられるという真理です。この真理を教会が見失うなら教会は単なる建物か、親睦会のような人の集まりになってしまいます。なにを言おうと教会ではなくなってしまいます。しかし、この聖書の真理は、今の世界に対して、聖書の時代、あるいは宗教改革の時代と同じようなインパクトを持っているのでしょうか。最近、ある報道番組に本当に心をうたれた出来事がありました。いま敵対するイスラエル人とパレスチナ人との間に起こった出来事ですが、イスマエルというパレスチナ人の子供、アメフド君といいますが、その子がイスラエル兵に頭を撃たれてしまった。しかしその手当はパレスチナ側の病院ではどうしようもなく、アメフド君はエルサレムの病院へ運び込まれました。だがすでに脳死の状態になって治療はできない状態でした。そこで医師は父のイスマエルさんに臓器の移植はできないか相談を持ちかけたのです。父親は子供の死を無にせず、他の人を救うことになるのなら、といって臓器移植を了承しました。アメフド君の臓器は、なんとイスラエルの5人の人々に移植されたというのです。そして日本と違い、その移植を受けた女の子、サマハさんとその家族に、父親は会っているのです。元気になったサマハさんを囲んで、二つの家族がお互いに親族のように交わりを始めたというのです。互いに人間であるという共通の地平に立ち、憎しみの壁を超えた家族がそこに生まれたのです。この報告をしたのは医師の鎌田実先生です。これは政治ではない。これは愛の問題です。そしてそれこそ神は愛なり、神のわざです。信仰義認をかかげたパウロの信念は、イエスにあってもう男も女もない、ユダヤ人もギリシア人もない、自由人も奴隷もない、ということでした。なぜか。イエスはすべての人のために死に、そして復活し、それをすべての人に保証しているからです。これがまた、教会に委ねられている福音なのです。だから教会は信仰義認の声を上げ続けなければならない。なぜか。そこに現代の宣教もあるからです。